正調江差追分の唄い方1

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江差屏風)

 

 土地の古老によれば追分は「人柄を聴くもの、一生が修行」だと言う。では人柄を聴くとはいかなることか。

人にはもってうまれた能力なり性格というものがある。身体の丈夫な人、虚弱な人、声の大きい人、小さい人、舞台であがる人、あがらない人、気の強い人、弱い人、まさに十人十色、千差万別である。もちろん努力によって差を縮めることは可能だが程度問題である。能力は能力で大事だが、その人に備わっている、自然に感じ取られる性格や品格に比べれば大した問題ではないのではなかろうか。

人柄という言葉は悪い意味では使わない、「人柄がいい」とか「立派な人柄だ」という風に使う。つまり、人柄が表れるような追分を唄いなさい、それにはもうこれでいいという終点はないんだよといっているのであろう。

かつて追分セミナーに参加した時、小笠原次郎上席師匠の教室で指導を受けたことがあるが、そこで氏がいうには、どんな名人でもこの人は言うことがないという人は一人もいない。自分もいまもって納得のいく追分が唄えていない、ということを聞いて、これほどの人でもそうなのかと驚いたことがあった。かほどに奥が深い唄なんだな~とあらためて感じ入ったしだいである。 

 

 江差追分は古来実にさまざまに表現をされている。そのいくつかを挙げるならば 

《鎮魂歌》

 

《心沸き立つ魂の唄》(江差追分会)

 

《悲痛人のはらわたを断つその曲調》(河合裸石)

 

《北海の荒波に調和する激越悲壮な曲》(々) 

 

《哀婉凄愴な調べの下に、人をして袖を絞らしめなければ止まぬ曲節》(高野辰之)

 

 《曲の凄艶、調の哀傷は言わずもあれ、幽婉なる節廻し、纏綿の情緒、聴く者誰か、紛糾極まりなき憂世の煩患をも忘れて、断腸の泪に咽ばずには居られようか》(森野小桃)

 

《想うに此の一篇は純呼たる哀謡である。調の悲痛、曲の哀憐、纏綿の想――、縷々悉きざる万斛の涙が、其の背面に横溢して居る》(々)

 

《其の詞、簡なりといえども、出妙深意、其の一端を引起せば、以て無窮の情あるを思わしむるに非ずや。而して況んや之に和するに三絃を以てす。唄高ければ則ち絃随て高く、歌低ければ則ち絃随て低し。宛転たる曲節、切々そうそう、恨むが如く訴うるが如し。真情の誠実なる所、感動誰かしょうしょう(=落涙)せざる者有らんや。》『空語集』(松本十郎

 

 《江差松前追分節は、その微妙な抑揚に、韻々たる余韻に、哀艶極まりなき歌の調律の、その底に深く流れる一種の蝦夷趣味が味われ、且又言語に言い尽せぬ懐古的情緒に浸り、遠き昔の深刻な劇的場面を髣髴たらしめるものがあります。

 蓋し凄愴哀艶限りなき江差松前追分節の音調は、人界を離れた北海の昔、衰運をかこつ敗民族と、愛欲を阻まれた若き血潮に燃ゆる人々との、天に地に慨き訴うる絶えざる忍び音であって、荒涼たる荒磯に囁く感傷的な波動から生まれたものであります。》(石島鷗雅) 

 

《 明日の命もはかられない船子どもが、一夜の情に酔いしれて、想憐の女が唄う哀愁の籠った

  忍路高島およびもないがせめて歌棄磯谷まで

 

の唄に後朝(きぬぎぬ)の別離を惜しんだものであった。

 漂泊の子は心なき身にも哀愁を覚える黄昏頃、その悔恨の情は涙となって==沖をながめてほろりと涙==の唄のような悲痛な旋律、感傷的な気分は、深刻に心の底に食い入って、幽遠な情調に、心ゆくまで泣かされるのであった。

 秋の空のような澄み切った声で、この哀愁のこもる追分を歌うのを耳にしたならば、どんな歓楽の巷も一変して、䔥條たる晩秋の野を思わせる様な気分が占有してしまうほどに、追分は、情に育まれる人々を虜にしてしまうほど不思議な、謎のような、ある力をもっているこれが追分の生命と言っても好かろうと思う。》(越中谷四三郎他)

 

 

 《今の世に歌詞と声容と共に相たぐいて一喉鬼神を泣かしめ、二謡断腸の想あらしむるの歌は吾が江差追分をさしおきて他に求むるを得べきか、夕陽の奥尻島に没して水とりねぐらをいそぎ、帰帆鷗島にさしかかるころ切れんとして切れず、止まらんとして止まらず、静かに平鏡の海を渡り来る追分の声きけば、実に身も魂も恍惚として天外にあるが如き心地す。》(藤枝夷山)

 

 

《私は、唄を唄う人は、母音の「ア」の音色が美しく作れる人は「名人」。「ア」と「オ」の双方が作れる人は「天才」と思っている。しかも「江差追分」は、酒・鷗・船乗り・男女の別れがそろった、演歌の要素をすべて揃えた、我が国最高の演歌とも言える。加えて、唄の節というものは、落としてくる個所で「哀れさ」「せつなさ」を「表現する。》(竹内勉)

 

 

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(明治中期から後期の鴎島ー関川家写真)

 ではその江差追分はどのように表現し、どのように唄ったらよいのでしょうか。
まずは、昔の人々の声に耳を傾けてみましょう。

追分節は遣る瀬なき断腸の想いを泣きて唄い、涙の声なれば、きわめて悲哀に、かつ滑らかにして、而してその調子の高低と旋律の多寡に意を用い、静かに唄うべし。》(石沢涛舟)



江差追分を唄うときは、まず姿勢を正し、くちを大きく開いて発音に注意しながら唄うことが大切です。高いところほどやわらかく、つぎの音に移るまでは先の語尾の母音をはっきりうたわなければなりません。頑張るとあごに力が入って文句がわからなくなり、またゴロをつけすぎると下品になります。なお、七節ある追分の各節の前段は早めに、後段はおそく唄うこともこの唄の秘訣のひとつです。》   (初代近江八声)



追分節は七節七声に歌うべきが、正調であり、二分二十秒から二分三十秒で歌うのが正調追分として最も完全なるもの、正しき哀調として何人にも良く聞こえるものである。又各自声量の関係から、自然二三秒の差はあるものの、其の長短は耳障りとはならぬものである。
 追分の最も生命とする感情を七節に分け波の意味を以て現わすと、
第一節は大波の上より次第に海底に沈む思いを含み、第二節は沈んだ思いから次第に浮き上がる感じを持ち、第三節はその浮き上がった思いより逆に海底に引き込まれるが如き感じをもち、第四節は三節より悲哀の調子に至り、第五節は本曲の最も骨子となるべきところで熱情迸り真に血を吐く思いという感じを出し、第六節は三節の海底へ引き込まるる心地と同じく、第七節は四節の悲哀の情調をもって歌い終わるのである。》(石崎濤舟)



《波のうねりから生まれた江差追分
波返し・・・蓬莱波と呼ばれる大波が岩に当たって返るところを表現した節。
磯波・・・・江差追分の真の面目ともいうべき、荒波の大波小波によそえた節。
・・・・・浦のように凪いだ海の面を船が滑っていくように穏やかに唄う節。》

(村田弥六)



《「忍路高島」の唄を七節に切って歌う場合、一首のうちの生命ともいうべき所は、第三節の落としオヨビモと六節の落としウタスツの二個所であるという。多くの人がオショロの唄い出しを困難に思っているのは、正調節が不自然なる節をつけているのと、やたらに声を延ばしすぎている故である。第五節のセメテのところを一般には難渋とされているけれど、自分自分の持っているだけの声でセの所から、漸次にメへ自然に上げる心で唄えばよいので、別に難しいはずはない。
 追分節の妙味も困難も、声を張り上げたり、喉をころばしたりするところに有るのではなく、落としと切と止めとにある。第二節タカシマのマの止めは「振り切り」という。第三節のオヨビモの落としは「下止め」という。第五節セメテのテは中音の「振り切り」だ。
 僅かに二十六文字の短い唄ではあるけれど、その節なり、声なり、唄う気持ちに、強いところ、かなしいところ、笑いたいような気持、そういった気分が現わしたいという。第四節のナイガは陽で止め、第七節イソヤマデは陰で止めるのだという。その陰といい、陽といい、文字や言葉ではあらわしかねる。実地に聞いて悟の外はない。陰陽の呼吸は唄の文句によりて一定はできぬけれど、唄い出しにも唄い止めにも陰陽のあることを知っておかねばならぬ筈だと磯女はいう。》
(湯朝竹山人の『歌謡集稿』中の『安田磯女の談話筆記』)

 この談話筆記は、大正15年に竹山人が東京本郷森川町で松前節の師匠をしていた安田磯を訪ねて話を聞いたものであるが、追分界にとって貴重な記録であります。磯女は明治7年、松前福山で生まれた純粋の松前生まれで、その松前追分節天保の調べを伝え、最も古い松前節を伝承している一人であるという。

 

 

 《「をしょ」の発声はなるべく中声、仮に声量十あるならば、中声の五くらいより出して行くものである。初めより「をしょ」と高声に唄い出す時は「ろ」は力が抜けるため、俗に一本調子に聞こえて聞き苦しい。また「をーしょ」と発音の「を」を少しのばして唄うもよし、とにかく「をしょ」を中声に出して追い追い高めて行き「ろ」の前後ともあるいは揺り、あるいは引き、「をーをーをー」というようにして唄って止める。
「高しま」は「高ァーしーーい」揺りつつ引き「ま」に至って一層力を入れて語尾をはね上げる心持にする。「及びも」は「およーびー」と静かに柔らかに声を出し、「も」と移る時、力を加えて張りあげ「をーーー」と唄を引く。もし息が足らずに一声に引く事が出来ぬ時は「もーをー」にて息をつぎ「をーーー」と揺りを入れて唄う。この句と「歌棄」は全章の中最もながく引いて唄う。「ないが」は「ないーーー」と最も静かに低音に出で、哀を含み、あるいは声を揺り、または引き、「が」に至って少し力ある音声にて「がァーー」とのばして唄う。
「せめて」は全句中最も声を張り上げて唄わなければならない一節である。だから「せめーー」より「て」に移るところ一層力をこめて張り上げて「てーーー」と揺り止める。声にも力を入れ少しく尾を跳ね上げる心持で唄う。要するにこの一節は前句「ないが」の哀調を含んだ低音をうけて後段の唄にうつる順序として前の唄で充分声をおち付かせ「せめて」と声を張って抑揚をなすものである。
「歌棄」の調格は大体前の句「及び」同節に似ているもので、その心得で唄うべきである。前にも述べた如く全体の文句の中最も長く引き揺りなどして唄うものは本句と「及び」の二句であるから声の接続等は音譜によって研究するとよい。「磯谷まで」は前の句の「ないが」の節調と格別異う事がなければ参照するとよい。但し追分節として断腸的哀情をしのばせるのは「ないが」と「磯谷まで」の声調によって発揮されるものだから最も節調に注意を要するものである。》
(高橋掬太郎氏の『追分の研究』の中に、江差振興會から出ている「江差よいとこ」というパンフレットから引用されているもの。)

 

 

 《総て唄には気分がある。特に追分節はこの気分が唄の生命である。追分節を唄う時は無論調子を整へる事も大事であるが一通りその節回しを覚えたならば、先ず何を措いても気分というものを考え、唄う度に調子や節回しがピッタリと合っていて、真の気分が出ているかどうかに気を付けなければならない。
  櫓も櫂も 浪にとられて 身は捨小舟
         何處に とりつく島もない。
 寂しいような、悲しいようなヒシヒシと迫り来る哀々悲痛な気分である。浪の間に間に絶え絶えに聞えて来るその声、高く低く寄せては返す大波小波のそのさま、これがすなわち追分節の気分である。
 こうした気分を心得ていて十分にこの気持を表して唄うことが肝要である。
 ここで注意すべきことは余りに気分にこだわって、勝手に技巧を加えて声をすかしたり小揺りを入れて、ことさらに抑揚を付けない事である。声自慢のために自由奔放に唄って、ただダラダラと引伸して聞く人に卑しく雑然とした感じを与えないよう、あくまでも高尚な芸術味を保つべきである。
 ついでながら声自慢は絶対に真正の追分節を唄う事が出来ないものであるという苦言を呈して置く。》(三木如峰)




《明治四十二年末の師匠会議以降、地元の追分界で唄い方の基本とされるようになった言葉に、「二声上げの七ツ節」、あるいは「七節七声、二子上げ」という一句がある。これらは、いずれの場合も江差追分の本唄部分の七句、「かもめェの、なくねェに、ふとめェを、さまァし、あれェが、えぞちィの、やまかいィな」の各句を一息に切らずに唄うこと、および各句の後半の節々にあたる母音をのばす部分を押しぎみに、あるいはすくい上げるように、強調して唄うべきことを述べた歌唱上の注意点を要約した言葉である。
 二子上げという言葉は、地元では沖揚音頭が最高潮に達したところで、船頭が「二子上げだどッ」と叫ぶ、というようなかたちで用いられており、その場合は網をたぐるためにくり返す掛声の、その後半部にとくに力をこめることを指しているようである。
 ちなみに追分の音譜として昔から伝えられる各師匠の波状曲譜を見ても、各句が
二山形をしているものが多く、息つぎに余裕をもたせる上から前半を短く、後半を長く、押しぎみに唄うようにという各師匠の注意点もまた、昔から共通しているようである。》(風濤成歌)
 

 以上の中には今日ではちょっと首をかしげるようなものもありますが、今日においても大いに参考になるものも含まれております。なによりも江差追分とはどういう風に唄うべきかという心持というか熱情が伝わってきます。名調子な文は原文のままに掲載しました。

 

                              

 

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追分フリーク

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 古稀を記念してブログをはじめました。

早いもので江差追分を本格的に始めて通算10年になります。江差追分会に入ってからは7年になります。通算というのは間に30年のブランクがあるからです。その辺のことは追々語りたいと思います。

主に江差追分に関する事柄を綴っていきます。

才能と努力と多少の運があれば誰でも名人になれます・・・多分^^。とても名人にはなれないがそれでも江差追分は極めたいという人は江差追分の背景を知るべし。

 このブログを見て少しでも正調江差追分の上達に貢献するところがあれば幸いです。

文中、失礼を承知で敬称を略す場合があります。また、引用文の多くは旧仮名遣いなので、名調子の文以外はできるだけ新仮名遣いにあらためました。