正調江差追分の唄い方2

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(明治中期から後期の鴎島ー関川家写真)

 

 ではその江差追分はどのように表現し、どのように唄ったらよいのでしょうか。

まずは、昔の人々の声に耳を傾けてみましょう。

 

 追分節は遣る瀬なき断腸の想いを泣きて唄い、涙の声なれば、きわめて悲哀に、かつ滑らかにして、而してその調子の高低と旋律の多寡に意を用い、静かに唄うべし。(石沢涛舟)

 

 江差追分を唄うときは、まず姿勢を正し、くちを大きく開いて発音に注意しながら唄うことが大切です。高いところほどやわらかく、つぎの音に移るまでは先の語尾の母音をはっきりうたわなければなりません。頑張るとあごに力が入って文句がわからなくなり、またゴロをつけすぎると下品になります。なお、七節ある追分の各節の前段は早めに、後段はおそく唄うこともこの唄の秘訣のひとつです。   (初代近江八声)

 

 追分節は七節七声に歌うべきが、正調であり、二分二十秒から二分三十秒で歌うのが正調追分として最も完全なるもの、正しき哀調として何人にも良く聞こえるものである。又各自声量の関係から、自然二三秒の差はあるものの、其の長短は耳障りとはならぬものである。

 追分の最も生命とする感情を七節に分け波の意味を以て現わすと、

第一節は大波の上より次第に海底に沈む思いを含み、第二節は沈んだ思いから次第に浮き上がる感じを持ち、第三節はその浮き上がった思いより逆に海底に引き込まれるが如き感じをもち、第四節は三節より悲哀の調子に至り、第五節は本曲の最も骨子となるべきところで熱情迸り真に血を吐く思いという感じを出し、第六節は三節の海底へ引き込まるる心地と同じく、第七節は四節の悲哀の情調をもって歌い終わるのである。(石崎濤舟)

 

 波のうねりから生まれた江差追分(村田弥六)

波返し・・・蓬莱波と呼ばれる大波が岩に当たって返るところを表現した節。

磯波・・・・江差追分の真の面目ともいうべき、荒波の大波小波によそえた節。

・・・・・浦のように凪いだ海の面を船が滑っていくように穏やかに唄う節。 

 

 「忍路高島」の唄を七節に切って歌う場合、一首のうちの生命ともいうべき所は、第三節の落としオヨビモと六節の落としウタスツの二個所であるという。多くの人がオショロの唄い出しを困難に思っているのは、正調節が不自然なる節をつけているのと、やたらに声を延ばしすぎている故である。第五節のセメテのところを一般には難渋とされているけれど、自分自分の持っているだけの声での所から、漸次にへ自然に上げる心で唄えばよいので、別に難しいはずはない。

 追分節の妙味も困難も、声を張り上げたり、喉をころばしたりするところに有るのではなく、落としと切と止めとにある。第二節タカシマのマの止めは「振り切り」という。第三節のオヨビモの落としは「下止め」という。第五節セメテは中音の「振り切り」だ。

 僅かに二十六文字の短い唄ではあるけれど、その節なり、声なり、唄う気持ちに、強いところ、かなしいところ、笑いたいような気持、そういった気分が現わしたいという。第四節のナイガは陽で止め、第七節イソヤマデは陰で止めるのだという。その陰といい、陽といい、文字や言葉ではあらわしかねる。実地に聞いて悟の外はない。陰陽の呼吸は唄の文句によりて一定はできぬけれど、唄い出しにも唄い止めにも陰陽のあることを知っておかねばならぬ筈だと磯女はいう。

(湯朝竹山人の「歌謡集稿」中の『安田磯女の談話筆記』)

 

 「をしょ」の発声はなるべく中声、仮に声量十ありとせば、中声の五くらいより出して行くものなり、初めより「をしょ」と高声に唄い出す時は「ろ」は力が抜けるため、俗に一本調子に聞こえて聞き苦しい。また「をーしょ」と発音の「を」を少しのばして唄うもよし、兎に角「をしょ」を中声に出して追い追い高めて行き「ろ」の前後とも或は揺り、或は引き、「をーをーをー」というようにして唄って止む。

「高しま」は「高ァーしーーい」揺りつつ引き「ま」に至り一層力を入れて語尾をはね上げる心持にする。「及びも」は「およーびー」と静かに柔らかに声を出し、「も」と移る時、力を加えて張りあげ「をーーー」と唄を引く。もし息が足らずに一声に引く事が出来ぬ時は「もーをー」にて息をつぎ「をーーー」と揺りを入れて唄う。この句と「歌棄」は全章の中最もながく引いて唄う。「ないが」は「ないーーー」と最も静かに低音に出で、哀を含み、或は声を揺り、または引き、「が」に至って少しく力ある音声にて「がァーー」とのばして唄う。

「せめて」は全句中最も声を張り上げて唄うべき一節である。だから「せめーー」より「て」に移るところ一層力をこめて張り上げて「てーーー」と揺り止む。声にも力を入れ少しく尾を跳ね上げる心持で唄う。要するにこの一節は前句「ないが」の哀調を含んだ低音をうけて後段の唄にうつる順序として前の唄で充分声をおち付かせ「せめて」と声を張って抑揚をなすものである。

「歌棄」の調格は大体前の句「及び」同節に似寄り居るもので、その心得で唄うべきである。前にも述べた如く全体の文句の中最も長く引き揺り等して唄うものは本句と「及び」の二句であるから声の接続等は音譜によって研究するとよい。「磯谷まで」は前の句の「ないが」の節調と格別異う事がなければ参照するとよい。但し追分節として断腸的哀情を偲ばしむるは「ないが」と「磯谷まで」の声調によって発揮せらる々ものだから最も節調に注意を要するものである。

(高橋掬太郎氏の「追分の研究」の中に、江差振興會から出ている「江差よいとこ」というパンフレットから引用されているもの。)

 

 総て唄には気分がある。特に追分節は此の気分が唄の生命である。追分節を唄ふ時は無論調子を整へる事も大事であるが一通り其の節回しを覚えたならば、先ず何を措いても気分と云ものを考へ唄う度に調子や節回しがピッタリと合っていて、眞の気分が出ているかどうかに気を付けなければならない。

  櫓も櫂も 浪にとられて 身は捨小舟

         何處に とりつく島もない。

 寂しいやうな、悲しいようなヒシヒシと迫り来る哀々悲痛なる気分である。浪の間に間に絶え絶えに聞えて来るその聲、高く低く寄せては返す大波小波のそのさま、之れが即ち追分節の気分である。

 かうした気分を心得ていて十分に此の気持を表して唄うことが肝要である。

 此処で注意すべきことは餘りに気分に拘泥して、勝手に技巧を加へて聲をすかしたり小揺りを入れて、殊更に抑揚を付けぬ事である。聲自慢のために自由放埓に唄って、唯ダラダラと引伸して聞く者をして卑俗雑駁な感を与えぬやう飽迄高尚な藝術味を保つべきである。

 序ながら聲自慢は絶対に眞正の追分節を唄ふ事が出来ないものであると云う苦言を呈して置く。(三木如峰)

 

 明治四十二年末の師匠会議以降、地元の追分界で唄い方の基本とされるようになった言葉に、「二声上げの七ツ節」、あるいは「七節七声、二子上げ」という一句がある。これらは、いずれの場合も江差追分の本唄部分の七句、「かもめの、なくねに、ふとめを、さまし、あれが、えぞちの、やまかいィな」の各句を一息に切らずに唄うこと、および各句の後半の節々にあたる母音をのばす部分を押しぎみに、あるいはすくい上げるように、強調して唄うべきことを述べた歌唱上の注意点を要約した言葉である。

 二子上げという言葉は、地元では沖揚音頭が最高潮に達したところで、船頭が「二子上げだどッ」と叫ぶ、というようなかたちで用いられており、その場合は網をたぐるためにくり返す掛声の、その後半部にとくに力をこめることを指しているようである。

 ちなみに追分の音譜として昔から伝えられる各師匠の波状曲譜を見ても、各句が

二山形をしているものが多く、息つぎに余裕をもたせる上から前半を短く後半を長く、押しぎみに唄うようにという各師匠の注意点もまた、昔から共通しているようである。(風濤成歌) 

 

 

 以上の中には今日ではちょっと首をかしげるようなものもありますが、今日においても大いに参考になるものも含まれております。なによりも江差追分とはどういう風に唄うべきかという心持というか熱情が伝わってきます。

                                 (続く)