正調江差追分歌詞集Ⅰ

 これは何もすべての歌詞を列挙しようというのではありません。いわばわしの「お好み歌詞集」です。それでもかなりの数になるでしょう。

 

『前唄』
 この『前唄』を編み出したのは、南部水沢の虚無僧、島田大次郎と言われている。
 昭和9年頃の「江差日々新聞」に、山田伝蔵という人物が『江差追分節と来歴』という題で連載をしているのだが、その第二回に次のように書いている。
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 前唄は明治27年頃南部水沢の人で島田大次郎と言う虚無僧が、日本各地を歴遊した際、越後方面で盛んに歌われている船歌の囃子を応用して、いわゆる前唄を創成したものである。その初め「春の弥生に鳴く鶯は、桃ノ木小枝に法華経」という二節の歌詞に更につけ加へて「あれ見やしゃんせ小鳥でさえも、後生大事と法華経読む」と語句を集成して前唄というものの体系を完全に作りあげたのであった。島田大次郎氏が初め越後追分節につけて唄っていた前唄が、近世に至って江差追分節にも活用されることになったのである。
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 ということは、この文章によれば、島田大次郎は「江差追分」に『前唄』をつけたのではなくて、「越後追分」の『本唄』-「合いの手」に『前唄』を加えて、『前唄』-『本唄』-「合いの手」とし、それを『江差追分」の人たちが取り入れたということなのである。また、《越後方面で盛んに歌われている船歌の囃子を応用して》とあるのは、「舟唄」の「エンヤラヤのこと」である。
 先の山田氏はさらに『前唄』につき次のように続けている。
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 純正江差追分節と関係のない前唄のようなものは一笑にふしてしまうのは当然である(中略)元来、江差追分節に前唄をつけることは、地方民謡として育まれて来た権威ある曲節を傷つけるものであるとの意見は、だれしも同感であったのであるが、その後誰も彼もこれをつけて唄っていて、それがまた追分節を常に唄う人から見ても、まず本唄を歌う前に「声ならし」として前唄を歌えば歌の調子も吟味が出来、かつ精神の統制もついて非常にコンデーションがよいというのは、経験者の一致する意見だ。
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 これを読むに、『前唄』江差のものではない、と言う人がいるのも当然なことではあるが、今日では深く根付いているのも確かな事であります。ゲストが舞台で唄うに『本唄』だけでは物足りないので三つ揃で唄うようになったということもあるでしょう。

 

♪国を離れて蝦夷地ケ島へヤンサノエー 幾夜寝覚めの浪枕
 朝な夕なに聞こゆるものはネー 友呼ぶ鷗と浪の音 (市川天涯)

 

松前江差の津花の浜でヤンサノエー 好いた同士の泣き別れ
 連れて行く気は山々なれどネー 女通さぬ場所がある

 

♪波は磯辺に寄せては返すヤンサノエー 沖は荒れだよ船頭さん
 今宵一夜で話は尽きぬネー 明日の出船を延ばしゃんせ (市川天涯)

 

♪大島小島のあい通る船はヤンサノエー 江差通いかなつかしや
 北山おろしで行く先ゃ曇るネー 面舵頼むよ船頭さん

 

♪荒い波風もとより覚悟ヤンサノエー 乗り出す船は浮世丸
 西か東か身は白波のネー 漂う海原果てもない (佐藤勘三郎

 

♪空を眺めてホロリと涙ヤンサノエー あの星あたりが蝦夷ケ島
 逢いたい見たいは山々なれどネー かなしや浮世はままならぬ

 

♪粋な船子が追分唄うヤンサノエー つれて啼くかよ浜千鳥
 船は追風(おいて)に帆をはらませてネー 恋し忍路をさして行く

 

♪煙る渚に日は黄昏れてヤンサノエー 沖にいさりの火が灯る
 江差よいとこ寝覚めの夜半にネー 通う千鳥の鳴く音聴く (市川天涯)

 

♪浮世荒波漕ぎ出て見ればヤンサノエー あだやおろかに過ごされぬ
 浮くも沈むもみなその人のネー 舵のとりよと風次第 (市川天涯)

 

♪波に千里の思いを乗せてヤンサノエー 月に掉さす筏舟
 浮世の苦労も荒波枕ネー 思い悲しや啼く千鳥

 

♪朝は朝霧夜は波枕ヤンサノエー 海路はるかに越えて行く
 蝦夷地恋しやお神威様よネー せめて想いを忍路まで 

 

♪荒い風にもあてない主をヤンサノエー やろか蝦夷地の荒海へ
 主の出船を見送りながらネー またの逢瀬を契り草

 

♪浮世の苦労も荒波まくらヤンサノエー 月を抱き寝の浜千鳥
 明日はいずこの大海原でネー 荒い波風しのぐやら

 

♪思いあまりて磯辺に立てばヤンサノエー あわれさびしき波の音
 沖のいさり火かすかに燃えてネー 遠く寄せ来る暮の色

 

♪添えぬえにしに故郷すててヤンサノエー 今じゃ流れの都鳥
 想いこがれて渚にゆけばネー はぐれ千鳥の忍びなき

 

 

『本唄』 
 『本唄』という言い方は『前唄』や『後唄』に対するものであって、『前唄』・『後唄』の発生以前は、「江差追分」といえば、『本唄』のみであったのです。またこれを、「ほんうた」という人もいれば、「ほんか」と呼ぶ人もいる。しかし、『前唄』は「まえうた」とは言うが「まえか」とも「ぜんか」とも言わないし、『後唄』も、「あとうた」とは言うが「あとか」とも「こうか」とも言わない。「ほんうた」だけが「ほんか」とも呼ぶのである。何故そう呼ぶかというと、推測だが、「ほんうた」より「ほんか」の方がなにか格調が高く、格好よく聞こえるような感じがするためであろう。
 この『本唄』、「正調江差追分」にあっては、今日では「七節を七声」で唄い、「八つの節」が必ず含まれなければならないとされております。


♪忍路高島及びもないが せめて歌棄磯谷まで 
    この歌詞については、「歌詞考2-1,2,3」を参照してください。

 

♪鷗の鳴く音にふと目をさまし あれが蝦夷地の山かいな
    この歌詞については、「歌詞考3」を参照してください。

 

♪恋の道にも追分あらば こんな迷いはせまいもの
    この歌詞については、「歌詞考1」を参照してください。

 

♪荒い波でもやさしく受けて 心動かぬ沖の岩

 

蝦夷地海路にお神威なくば 連れて行きたい場所までも

 

♪沖を眺めてほろりと涙 空飛ぶ鷗がなつかしや

 

♪沖のかもめよ流るる雲よ せめて伝えよこの心

 

松前江差の鷗の島は 地から生えたか浮島か

 

江差の五月は江戸にもないと 誇る鰊の春の海

 

♪寒い風にもあてない主を やろか蝦夷地の荒波へ

 

♪雪にたたかれ嵐にもまれ 苦労して咲く寒椿

 

♪泣いてくれるな出船のときに 櫓も櫂も手につかぬ

 

♪沖の鷗がものいうならば 便り聞きたいきかせたい

 

♪月は照る照る夜は更けわたる 磯の波音高くなる

 

♪せめてこの身が鷗であれば ついて行きたい主の船

 

♪今宵一夜は緞子の枕 明日は出船の波まくら

 


五字冠り『本唄』

  唄い手は、この初め五文字部分を平坦に、節をつけずに「ま、つ、ま、え、のー」

  と投げ出すように枕を振ると、大変に格好よく、情感が出しやすかったのである。

 

松前の ずっと向こうの江差とやらは 朝の別れがないそうな

 

松前は 昆布で屋根葺く細目でしめる 雨の降る度だしが出る

 

♪浪の音 聞くが嫌さに山家に住めば またも聞こゆる鹿の声

 

♪櫓も櫂も 波に取られて身は捨て小舟 どこへとりつく島もない

 

♪泣いたとて どうせ行く人やらねばならぬ せめて波風穏やかに

 

♪泣いたとて どうせこの身は帰れるあてもない 母の面影なつかしや

 

♪奥山の 滝に打たるるあの岩さえも いつほれるともなく深くなる

 

♪三味線の 棹に三筋の手綱をつけて 恋の重荷を引かせたい

 

♪竹ならば 割って見せたいわたしの心 中に曇りのないわたし

 

♪紫の 紐にからまるあの鷹さえも 落つれば蝦夷地の藪に住む

 

♪あいの風 別れの風だよあきらめしゃんせ またいつ逢うやら逢えぬやら

 

♪船底の 枕はずしてきく浜千鳥 寒いじゃないかえ波の上