正調江差追分歌詞集Ⅱ
『後唄』
『後唄』は、いつ頃、どこで、誰が、加えたのだろうか。
「江差追分」のはじめは『前唄』も『後唄』もなく、全部『本唄』の26文字であって、これを二回繰り返して唄っていたのです。これを大正に入って、「江差追分」を興行で唄うようになってから、『前唄』・『後唄』を付けるようになったのです。
当時の北海道を中心とする巡業の芸人たちの興行形式は。人気絶頂の浪花節の舞台をまねることであった。つまり、この、『前唄』・『後唄』は浪花節の枕のようなもので、『本唄』を二つ続けて唄うのは能がないので『前唄』-『本唄』-『後唄』から成る三つ揃いを考えたのである。その際、『前唄』-『本唄』-『合の手』としなかったのは、名称に統一がとれなかったためでしょう。
『前唄』の項目の中で紹介した山田氏は、『江差追分節の来歴』の第四回に次のように書いている。
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関西尺八界の大家、内田秀堂氏は民謡に関して相当の権威者であって、わが江差追分節につても既にひとかどの見識のある意見をもっていた。すなわち江差追分節は単に前歌だけでは到底本唄の意味をはっきりさせることが不可能であるから、その本唄の意味を更にもっと緊張させるには、歌全体の均斉をとる上で後唄(送りともいう)をつけ加える必要があると強調するに到った。これをこの道の熱心家三浦為七郎が神戸から北海道に来た大正十年の夏、同好者と歓談交遊の際大いに宣伝に努めたのである。それからこの後唄をつけて唄う新しい試みをするものが漸次拡充していったのである。
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これが事実だとするなら、『後唄』は大正十年夏に、内田秀堂が案を出し、三浦為七郎が広めたということになる。
この『前唄』ー『本唄』ー『後唄』の組み合わせは、どう組み合わせるかは歌い手の自由で、好きに組み合わせてよいのだが、とは言ってもある程度の整合性がないと情感が湧かないわけです。『後唄』として唄われることが多くても、それを『本唄』として唄ってはいけないということはなく、「ネー」をはずして『本唄』として唄うこともあるのです。更には『前唄』の半分だけを『本唄』や『後唄』に活用するすることもあったのです。
♪恨みあるぞえお神威様よネー なぜに女の足止める
♪蝦夷地海路のお神威様はネー なぜに女の足止める
♪沖で鷗の啼く声聞けばネー 船乗り稼業はやめられぬ
♪なにを夢見て啼くかよう千鳥ネー ここは江差の仮の宿
♪誰を慕うて啼くかよ千鳥ネー ここは江差の恋の宿 (市川天涯)
♪泣くなと言われりゃなおせき上げてネー 泣かずにいらりょか浜千鳥
♪主は奥場所わしゃ中場所でネー 別れ別れの風が吹く (実相寺信男)
♪泣くに泣かれず飛んでも行けずネー こころ墨絵の浜千鳥
♪今宵一夜は緞子の枕ネー 明日は出船の波枕
♪月をかすめて千鳥が啼けばネー 波もむせぶか蝦夷の海
♪波にくだけし磯辺の月はネー 乱れながらも丸くなる
♪江差恋しと渚にゆけばネー 沖行くかもめと風だより
♪浜の真砂におもいを書けばネー にくや来て消す夜半の波
♪ならばこの身をかもめに変えてネー 後を追いたい主の船 (実相寺信男)
♪ここは何処よと船頭衆に問えばネー ここは江差のかもめ島
♪今宵入船江差の港ネー はるかに見えるは かもめ島
♪空飛ぶかもめがものいうならばネー 便り聞きたい聞かせたい
♪つらい思いに泣くのじゃないがネー 月がなかせる浜千鳥
以下は『前唄』『本唄』『後唄』のわしの好みの組み合わせです。
♪国を離れて蝦夷地ケ島へヤンサノエー 幾夜寝覚めの浪枕
朝な夕なに聞こゆるものはネー 友呼ぶ鷗と浪の音
鷗の鳴く音にふと目をさまし あれが蝦夷地の山かいな
月をかすめて千鳥が啼けばネー 波もむせぶか蝦夷の海
♪空を眺めてホロリと涙ヤンサノエー あの星あたりが蝦夷ケ島
逢いたい見たいは山々なれどネー かなしや浮世はままならぬ
忍路高島及びもないが せめて歌棄磯谷まで
恨みあるぞえお神威様よネー なぜに女の足止める
♪大島小島のあい通る船はヤンサノエー 江差通いかなつかしや
北山おろしで行く先ゃ曇るネー 面舵頼むよ船頭さん
沖のかもめよ流るる雲よ せめて伝えよこの心
沖で鷗の啼く声聞けばネー 船乗り稼業はやめられぬ
♪荒い波風もとより覚悟ヤンサノエー 乗り出す船は浮世丸
西か東か身は白波のネー 漂う海原果てもない
荒い波でもやさしく受けて 心動かぬ沖の岩
なにを夢見て啼くかよう千鳥ネー ここは江差の仮の宿
♪波は磯辺に寄せては返すヤンサノエー 沖は荒れだよ船頭さん
今宵一夜で話は尽きぬネー 明日の出船を延ばしゃんせ
泣いたとて どうせ行く人やらねばならぬ せめて波風穏やかに
泣くなと言われりゃなおせき上げてネー 泣かずにいらりょか浜千鳥
♪添えぬえにしに故郷すててヤンサノエー 今じゃ流れの都鳥
想いこがれて渚にゆけばネー はぐれ千鳥の忍びなき
泣いたとて どうせこの身は帰れるあてもない 母の面影なつかしや
江差恋しと渚にゆけばネー 沖行くかもめと風だより
松本勇悦が得意とする歌詞、レコードの「ソイ掛け」は初代浜田喜一と思われる。
初代の流れをくむ唄い方である。また「もみ」に個性がある。
♪思いあまりて磯辺に立てばヤンサノエー あわれさびしき波の音
沖のいさり火かすかに燃えてネー 遠く寄せ来る暮の色
月は照る照る夜は更けわたる 磯の波音高くなる
浜の真砂におもいを書けばネー にくや来て消す夜半の波
三浦為七郎の十八番の歌詞である。三浦一座には那須野亭月という座付き作詞者がいて、その作詞と思われる。ただし、三浦為七郎の唄は「八つの節」確立以前のものです。
正調江差追分歌詞集Ⅰ~Ⅱの参考文献
『正調追分節』三木如峰 昭和14年
『追分の研究』高橋鞠太郎 昭和14年
『江差追分』国原州月 昭和43年
『追分節』竹内勉 昭和55年
『江差追分』江差追分会 昭和57年
『 風濤成歌』江差追分会 平成11年