追分セミナーに参加

 追分セミナーには4回参加しました。

舞台であがる質なので度胸をつけるためと、江差の風に当たり、江差の匂いを嗅ぎ、江差の海を見たかったからです。鴎島から見る日本海は正に江差追分の海でした。

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 (江差町郷土資料館より)鴎島

  遠くから行くとなると4泊5日で、まあそれなりに費用はかかりますが、内容は十分お釣りが来ます。とにかく3日間朝から晩まで追分づけです。

同じ教室の中に10傑の常連の人とか熟年名人とかが入る時もありました。そんな時はまるで宝クジに当たったような気分になります。NHKの取材が入った時もあります。

最終日に格付審査と追分酒場があるのも魅力です。

特訓のお陰でありがたいことに4回のうち2回昇級させてもらいました。勝率五割です。再び追分を始める30年前に4級秀をいただいてますので、3級秀になりました。

とにかく、この追分セミナーというのは参加して初めて知りましたが素晴らしい企画ですな。なにしろ超一流の先生方が追分の極意を惜しげもなく教えてくれるわけですから。損得勘定抜きに正調江差追分そのものの発展のためにその神髄を薀蓄を傾けて伝えようという熱意が伝わってきます。

 

 指導者は大体が自分の教えた唄が崩されるのが嫌で、他の指導者に教わることを嫌うものですが、セミナーの講師が苦労するのもそこにあるようです。

”そうおっしゃいますけど、うちの先生はこう言ってますけどどうなんでしょう”という生徒が必ずといっていいほど1~2人はいます。また、自分の支部に戻って、”セミナーではそこの所はこう唄いなさいと言われたんですが”と言って困らせる人がいるように聞いています。

 そもそもはそういう問を発することが間違ってますな。

昔と違って今は新地派とか詰木石派とかに分かれてそれぞれが自分たちの唄い方が正しいんだと言っているような時代ではなく、正調江差追分として統一されているわけですから、各指導者も「基本譜」に基づいて指導しているわけで、多少の表現の違いは人間に個性がある以上止むをえないんじゃないでしょうか。

 要は、表現の違いをいかに自分の中に取り入れるか、消化するかということでしょう。表現の違いのどちらを取ったらいいのかというような場合には自分がどちらが唄いやすいか、合っているかで判断すればよいことです。指導者にしても、どちらにしたらよいでしょうか、と聞かれても私のいうように唄えば間違いないと言うしかないじゃないですかね^^。自分の中で消化できる人はできるだけ多くの指導者に指導を仰ぐべきだと思います。昔で言えば武者修行ってやつですな。ただし、基礎のできていない初心の人はあまりいろいろな人に指導を仰ぐのはやめたほうがよいでしょう。

私などはセミナーの講師が変わるたびに目から鱗を体験しました。

 ぜひ自分が自分の唄に感動する唄い方を会得して、江差追分を楽しんでください。 

 もしまだ参加されたことがないというのであれば、一度参加してみることをお薦めします。20回参加すると、表彰してくれます。

 

 

 

 

追分再始動

 追分会を脱会して30年、定年後に再び入会して思ったことは、なんとしても続けておけばよかったな~という後悔の念であります。いくらでも出た声はすっかりしゃがれ、息もたえだえの唄になっているのに愕然としました。なんせ3年じゃなく30年のブランクだからね~、こりゃサビ落としから始めねばならないなと覚悟を決めました。

 それから5年、喉を鍛えると同時に体力も鍛えなおそうと努めて、幸いにして2年目から3年連続して関東の予選に通過し、全国大会に出ることが出来ました。

 私は所属しているのは江差追分会のみで、日本民謡や郷土民謡等のいわゆる一般民謡の団体には入っていません。30有余年前は3年ほど一般民謡の団体に所属していましたが、それでも唄は江差追分一本でした。その頃は若くもありコンクールで良い成績をあげることが目標のようになっていて、時間で5節で止められても別に気にもしなかったですが、いまでは江差追分という唄そのものに惚れているので、途中で歌を切られるのは我慢がならなくなりました。

 自分が感動し、聴く人にも感動してもらえる、そんな追分を目指して今後も精進していきたい。

 

基本譜

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現在用いられている譜面は、江差追分会師匠会の承認を経て、昭和49年(1974)に制定されました。

それ以前はというと、下の図に見られるような

 

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波状譜が 使われていました。これは、古調追分と言われた時代に使われた譜面であり、いわゆる八つの節が決められる以前の図譜であります。

基本譜に至る経緯については、http://esashi-oiwake.com/origin2を参照してみて下さい。

 平野源三郎派家元の三木如峰氏によれば「明治44年、追分師匠平野源三郎が正調江差追分の標準音譜を編み出した」となっておりますが、現在残されている古いものは上の大正9年村田弥六氏の「村田式図式音譜」等であります。三木如峰氏作譜の譜面が平野源三郎の編み出した標準音譜を模したものかは不明です。

では、このような波状譜がどこから来たかについて、野村公氏が昭和42年8月『江差追分の楽譜についての考察』の中で、

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 江差追分も、口承という方式によって伝承されてきたのであるが、それを担った人たちは、やはり江差追分を譜面に書きとどめようと努力したのである。その現われが今日に残された図譜である。図譜は中世歌謡の神楽歌・催馬楽等の記譜法をとったものと考えられる。

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という仮説を立てているのは中々に興味深い。

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催馬楽「席田」の初節) 

 

  基本譜のことを兎角に言う人がいるようですが、私は波を表現した素晴らしい芸術品だと思っている。

特に「のし」の表現などは見事です。「せつど」と「せつど」の間にある「のし」は「押すのし」であり、「すくり」の後に来る「のし」は「引くのし」であるというようなことは、一体五線譜(楽譜)で表現できるものでしょうか。

江差追分は楽譜(五線譜)には表しようのない唄の一つだと思います。楽譜では江差追分のイメージがそもそも湧いてきません。基本譜には単なる音の連続以上の、連綿と続いてきた江差人の魂が込められているような一種ロマンが感じられます。

 確かに楽譜は多少の解釈の違いはあっても、誰でもがその通りに演奏すれば曲になり歌になります。江差追分も一応採譜して楽譜にすることはできますが、江差追分の奥深さはとても表現できません。

 基本譜はそのままでは唄えず、口移しの助けがなければ演唱できませんが、教える方も教わる方も江差追分のイメージが髣髴としてくる譜面だと思いませんか。

 

 上でこの基本譜を兎角に言う人がいると言いましたが、その言わんとするところは基本譜そのものよりもむしろ、保存を重視するあまり画一的で、規則でがんじがらめにしているということを言いたいのでしょう。でもそれは「保存」の宿命とも言えるかもしれないのです。

 

 古来、芸事に限らず「型より入りて型より出づる」と言われてきました。

これについては狂言師野村万作氏の『太郎冠者を生きる』が面白い。

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 謡にしても、狂言のことばにしても、口うつしで一句一句教えられる。もちろん正座で一対一で先生と向かい合い、先生が子供と同じような高い、大きな声で発声すると、それを口真似してゆく。こうして弟子は、正しい姿勢での正座、大きな明晰な発声、正確な息つぎを強調されて少しずつ覚えてゆくのである。
 子供の時から教わってきた芸は型通りの枠にはめこまれたものだったが、その師が舞台で演じる芸はそれとは違うもので、「教える芸」と「演じる芸」との差違が感じられたのである。
 私は、父に教わったとおりのつもりで、右手をさした。ところが本番を見ると、父はその場面で左手をさしているではないか。手をさすなどは些細な、それほど大事なことではないかもしれないが、私が父から教わったことを正しいと思って踏襲しても、かんじんの師が違う演技をする。父は非常に自由なところがあり、晩年になればなるほど、われわれに教えたことと違うことをやり出した。
 そんな姿を見ていると、年齢によって狂言の演じ方はずいぶん動くものだということを見せられた気がする。カチッとしたことをやる時期もあるだろうし、だんだんそういうものから解きほぐされて、自由に、思うようにやる時代もあるのだろう。
「型より入りて型より出づる」ということ。これは伝統的で非常に合理的な方法である。初心者のときは、師匠に教えられるまま型に入っていけば、大きな失敗はしない。そうして経験を積み、芸の全体になじんできたとき、自分の持ち味を盛り込んで、決められた型から抜け出していく。
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 正調江差追分の場合は基本譜が制定された時から、自由度というものは極めて限定的になって型から抜け出すわけにはいかなくなりました。
それでも、全国大会でも最初のころの名人の唄をテープで聴くと、けっこう自由に唄っていたように思います。また審査員の方にもそれを許容するものがあったんでしょうな。例えば、「止め」にしても6個7個で止めても名人になれたし、ブッツリ止めといって2つくらいで止めても名人になれました。つまり全体の流れがよければ、細部にはこだわらないという風潮があったわけですが、今ではどうでしょうか。私の見るところ随分と厳格になってきているように感じます。何か個性というものが薄れて、画一的な追分になってきているなと感じるのは私だけでしょうか。
聴衆が求めているのは魂が湧き立つゾクゾクとくる追分です。型の中にあっても個性で聴衆を感動させるような唄い方が今後は求められていくことでしょう。
 
 後藤桃水氏曰く(昭和29年)
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 現今優秀な唄い手が極めて少なくなったということは、先輩達のような真剣な研究を欠き、いわゆる教科書用の追分型に頼りすぎるからである。型もむろん必要です。しかし、型のみ唄っていたのでは終に追分のロボットが出来上るだけです。型をはなれて型を唄い、個性を芸術的に打ち込んで其の唄に生命を与えるというところまで唄わなければならないのです。
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海で唄う

 私の住んでる所は海岸まで歩いても十五分位のところなので、よく散歩がてら海まで行きます。途中、海の手前に県立海浜公園があるので、中を一周歩いて海に出ます。

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(県立辻堂海浜公園より富士を眺む)

 

 祖父が漁師であったせいか、子供の頃にはよくこの浜辺で地引網の手伝いをしたものです。波打ち際ではハマグリが面白いように採れましたが、今では浜辺に何艘もあった船もすっかりかげをひそめて、ただの浜辺をさらしています。

 左に江ノ島、右に富士山、正面に伊豆半島がかすんで見え、その手前にはサザンの歌で知られる烏帽子岩(姥島)がポツンと見えます。

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江ノ島

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伊豆半島烏帽子岩

その海に向かって追分を2~3曲うなるのが日課のようになっております。湘南名物のサーファーがうようよいる日もありますが、かまわず唄います。江ノ島を鴎島に、烏帽子岩を神威岩に、伊豆半島蝦夷地に見立てて水平線に向かって唄うのは実に気持ちの良いものです。

 ついでに「浜辺の歌」を口ずさんだりもします。

「浜辺の歌」の作詞で知られる林古渓がこの辻堂海岸を思い浮かべて作詞したことが知られたからです。また今年、東海道線辻堂駅開通百周年を記念して、電車発車時の音楽もこの浜辺の歌になりました。

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江差追分事始め

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私が最初に江差追分を耳にしたのは(その時はその唄が江差追分であることすら知らなかったわけだが)20代後半で、一時的に埼玉に住んでいた時です。

大学が埼玉にあって、卒業後もなすことなくアルバイトをしていた時期です。

 そのアルバイト先の近くに料理屋があって、初めて入った時に民謡が流れていたんですが、その中にズンと心に響く唄があって、料理屋の主人に聞いたら江差追分だという。それが私と江差追分の出会いです。

 その後もその唄を聴きたくてそこに通って、主人とは大分なじみになり、そのうちテープを買って聴くようになりました。

それで料理屋で聴いたのが初代浜田喜一氏だと分かった次第です。その当時は浜田喜一氏と佐々木基晴氏のテープが一般的に流布されていました。テープがそれこそ擦りきれるくらいに聴いたですね。真似て唄ったりもしましたが音程が狂ったりで散々でした。

 話の中でその主人はかつて函館に住んでいたんですが、家の前で作業をしながらいつも追分の同じ個所を何度も何度も繰り返し唄っている人がいて、それが佐々木基晴さんでしたと語ってくれました。

そうこうするうちにアルバイト先の人が民謡の先生を紹介してあげようかというので、近くの民謡の先生を紹介してもらうことにしました。

 その先生は女性でしたが、テレビに出演したりするようなかなり民謡界では有名な先生でしたが、当時は私も怖いもの知らずというか、いきなり”江差追分を教えてくれませんか”とやっちゃったんですな。そうしたら、一瞬あきれたような顔をした先生は諭すようにこうおっしゃったんです。”あなたね~、最初から追分をやると肺を壊すからやめなさい”と言われて、なるほどそれもそうかなと思って、ソーラン節から始めることにしました。一年の間にソーラン節と酒屋唄と網のし唄を習いましたね。

 丁度一年がたった頃に、民謡のせいなのかは分かりませんが肺を壊しまして神奈川の実家に帰ることを余儀なくされました。

 

 実家に帰って病が癒えた後、いわゆる就活で追分からは暫く遠ざかっていたんですが、ようやく仕事も決まり生活の基盤が出来上がりました。

 当時は民謡ブームの真っ最中で、あちこちに民謡酒場があって、よく仕事がえりに行ったものです。ある時、藤沢市の民謡酒場で知人と飲んでいた時に、プロ歌手の芳村君男氏(故人)も来ていて、話をしていく中で追分を得意にしていると聞いたので、ずうずうしくも掛け合いを所望しまして、それでも嫌な顔一つしないで応じてくれました。さすがに上手いなと思いましたね。芳村氏の唄い方はいわゆる正調の唄い方ではなかったのですが、その頃は江差追分に正調があることは知らなかったので、とにかく教室に通わせてもらうことになりました。

 芳村先生の歌は正調ではないので、当然江差追分会には加入していませんで、郷土民謡に所属しておりました。私もその郷土民謡の大会に何度か出させてもらってトロフィーもいくつか貰う事が出来ました。唄は当然追分です。年は三十位でしたので、今と違ってとにかく声は気持ちよいくらいによくでました。

 芳村先生のところには三年ほどお世話になりましたが、嬉しいことと残念なことが一つづつありました。嬉しいことは、武道館での郷土民謡関東大会の年令別で優勝したことーーその時の審査員の中に二代目浜田喜一氏がおりました。昭和56年5月のことです。その時の優勝トロフィーは娘が出来た時にオモチャにされ、土台しか残っておりませんww。残念なことは、県大会で予選、準々決勝、準決勝を通過し決勝20名の中に残ったのはいいが、仕事の都合でどうしても出場できなかったことです。出場できなかったことよりも先生を失望させたことが心残りでした。 

 芳村先生は初代浜田喜一氏の名取でもありましたが、民謡研究家の竹内勉氏(故人)のところにも通っていて、どうもそこで「せつど」のない追分を薦められたようで、その唄い方を得意にしておられました。

 そのことは、竹内氏は著書『民謡地図』③167頁でこう言っています。

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 それともう一つ、昭和五十年代はじめ、我が家に初代浜田喜一の弟子で、「江差追分」を唄う男などが集まって、「江差追分」の勉強会を開いている折り、菊地淡水も尺八を持って加わってくれたことがある。その時の言葉は、

 「ここは型にとらわれないからいい。それで唄い込めば充分」

と、江差で愛用している「『江差追分』波状曲譜」を否定して帰っていった。私はこれで賛成者が二人になったと喜んだことを覚えている。

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 私も一度何かの機会に芳村先生に紹介されてお会いしたことがあります。”竹内先生の「追分節」という本読ませていただきました”と言ったところ、”あんなものはゴミ箱にでも捨てておいてください”なんて言うものだからちょっとシニカルな人だな~という印象をもちましたね。さらに芳村先生が”この人はなかなか追分がうまいので今度機会があったら聞いてみてください”と言ってくれたんですが、”あ、そ”で終わってしまいガクっときましたね。

 

 ある日私が生意気にも、『先生の唄は「せつど」がありませんね』といったら、芳村先生非難されたと思ったのか、『僕ぁ、この間本場の江差の舞台で唄ってきたが、大いに好評を博したぜ』とおっしゃるものだから、そいつはどうも恐れ入りました、と答えたのを覚えています。私が三十代初めころの話です。

 芳村先生はプロ歌手なわけなので、正調江差追分の唄い方に満足がいかなかったものと思います。とはいえ普通なら生徒に、自分と同じように唄いなさい、というのが当たり前なところを、「せつど」を入れて唄ってもとがめだてをしない懐の広い先生でした。

 

 その頃にに作った『江差追分に寄せて』という歌4首

 

   荒磯の岩に砕けし波しぶき 鴎島に春遠からんを想う

 

   名人の唄を聞くたびわが芸の 遅々たる歩みがもどかしい

 

   いつの日かまことの追分もとめつつ 歩いてみたや江差の浜を

 

   波しぶく海に向かいて追分を 声も裂けよと繰り返すわれ

 

 そうこうするうちに、全国大会に出たいという欲が出まして、私の家から一番近い支部を事務局に確認したところ品川に支部(今は無くなっています)が一つありますとのことなので早速入会しました。本格的に追分を始めて四年目のことです。

 当時は地方予選のない時代でしたので、支部推薦で全国大会に出場できたんですが、どういうわけかいきなり出場させてもらえました。昭和58年の第二十一回大会です。

 

いまはまるでコンサート会場のように皆さん上品に聴いていますけど、そのころの会場の印象はとにかく騒がしかったですね。唄ってる間もガサガサ袋を開けて煎餅はかじるは、隣の人と唄の批評はするはで、とにかく騒々しかった。でもそれがまた関東から来た私などから見てもごく自然な感じで、江差追分とはこういう中で唄うもんなんだと思いましたね。

ところが、これはうまいという歌い手が出ると会場が水を打ったようにし~んとなるから面白い。まさに歌い手と聞き手が一体となっている感じがしたね。

そうこうするうち、いよいよ私の唄う番がまわってきたんだが、関東の見たこともないやつが出たなぐらいに思われたか残念ながら、し~ん、とはならなかったようだ。ところが、一節を無事唄い終わりやれやれと思って、二節を唄い終わったところで前列の方から、なんと うまい!、という声がかかったんだ。これですっかり舞い上がってしまったのか、見事に五節でこけてしまいました。

でもまあ初出場にしては上々の出来じゃなかったかな。

 

本番前には格付審査も初めて受けまして、四級秀をいただきました。

翌年の第二十二回大会にも出場させてもらいましたが、この時も五節でこけました。

 

その後、所帯を持ったり、仕事が忙しくなったりで追分に対する情熱が急速に冷めてしまい、追分会を脱会してしまいました。再び追分にとりつかれたのは三十年経った定年退職後のことです。それからの経緯はまたの機会に。

 

                                 

 

正調江差追分の唄い方4

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江差昔の街並み)

以上を踏まえて、さらなる情緒情感はいったいどのようにすれば出せるのであろうか。

 

 ここから先は、初級、中級を脱した人向けの内容となろうか。

初級、中級を脱した人とは、基本となる八つの節・・・出だし、せつど、二声上げ(のし)、もみ、本すくり、すくい、半すくり、止め、をマスターした人のことですが、この基本をマスターすること自体並大抵ではないのは周知のことであります。

 江差追分でいうところの情緒を出すには、ひたすら練習稽古するしかないと言う人もいるようだが、それでは答えになっていない。

なるほど基本をマスターした後はひたすら唄い込んで、自然と情緒が感じられるような追分にするというのが理想だが、問題はどう練習稽古したらいいのかということだろう。

 情緒を出すためには何と言っても押し引き緩急メリハリが大切であります。

 

まず押し引きだが、

 「のし」には押すのし引くのしの二種類があって、押すのしの方は「二声上げ」と

いって、各句の後半の節々にあたる母音をのばす部分を押しぎみに、あるいはすくい上げるように唄う節のことであります。

 ある師匠の少し前の譜面などを見ると、ここは「二声おし」となっていて、押すのしであることを強調しておりますが、今は「二声上げ」が統一した言い方になっております。

 この「二声上げ」は基本譜では太い波形で描かれているところですが、実に巧妙に描かれているなと感じ入りました。しかも、この押し引きには一種の法則があります。

押すのし(二声上げ)は「せつど」と「せつど」の間にあり、また、引くのしは「すくり」の後にきます。

 この法則はいままでこれについて書かれたものを見たり聞きしたことはないので、あまり意識されていないのかもしれない。

波は押したら、引くのが自然の理でしょう。

 

次に緩急とは、

読んで字のごとく遅かったり速かったりということだが、例えば、波のうねりを表すノシはゆったりと、「もみ」は速く唄うというようなことであります。ノシをゆったり、「もみ」もゆったりでは歌がだれてしまって情緒が出ません。

 

最後にメリハリとは

尺八用語のメリ、カリからきているように高低強弱をつけて緩めたり、張り上げたりすることであります。例えば、三節六節は海底に引き込まれる感じで唄い、五節は熱情ほとばしって血を吐く思いで唄うというようなところに何とも言えない情緒が表れるわけです。 

 要はこういうことが無意識のうちにできるように修練を積みましょう。

 

 最後に、人は十人十色であります。それぞれが身の丈に合った唄い方をすることが肝要です。

 

                                 了

 

正調江差追分の唄い方3

 ここで江差追分会師匠会の「江差追分のうたい方」を参考に、八つの基本の節についておさらいしておきましょう。これらの節は「七節七声」とともに正調江差追分のまさに正調の正調たる所以であります。

 なを、基本譜等の図は、リンクをはっておきます。

  http://esashi-oiwake.com/utaikata

       http://esashi-oiwake.com/1_7setu

 

                          ※は追分会の注釈

       *は江差追分フリークの注釈

「出だし」

 七節までの声の高さや調子をきめるたいせつな基礎をなす節である。

ソイの調子に合わせて「カモー」と下からうえに向かって素早く入り、ほんの少し「間」をおいて「メ」にはいる。

 *「出止め」というように古来より「出だし」と「止め」が大切だよと言われており、この「出だし」でほぼ唄全体の出来が決まるといっても過言ではない。また聴く人がゾクゾクッとくるような出だしでなければいけません。名人という名の付く人は皆この出だしが美しいです。

 

「せつど」 

 追分の「節目」をなす重要なものであり唄全体の流れをひきしめるとともに「止め」まで息を続かせる役目を果たす節である。

  

 *「せつど」が「止め」まで息を続かせる役目を果たすというのは注釈が必要かもしれない。

すなはち「せつど」で息を吸っているという意味なのかどうかである。現に「せつど」で息を吸っていますと主張する人もいるので、一概に否定できるものではないが、私自身は「せつど」で息を吸っているという感覚はないし、名人といわれる人でも年を取って息が続かなくなっている人が多いという現状を見ると、「せつど」で息が吸えてるわけでもなさそうである。

三浦為七郎氏(故人)のように、また最近では芳村君男氏(故人)のように「せつど」のない唄い方でも立派に「止め」まで息は続いているわけで、「せつど」が「止め」まで息を続かせる役目を果たすという意味がどのへんにあるのか私には不明であります。

因みに、アフリカのさる部族では息を吸いながら話ができるそうだ。「いびき」とか「シャックリ」の要領かもしれんが、ちと真似はできそうもない。

 

「二声あげ(のし)」

 追分の情緒を出すための重要な節である。

「メ」から即「エッ」と節度をはね、腹に力をいれて声を前に出す。(波のうねりの如くのす)そして、寄せ来る波が引く感じを出しながら節度に入る。

 ※のす(押すように声を出す)

 *「七節七声、二声あげ」と古来より言われているように、追分のツボであり、深み   のある情緒を出すために核となる節である。押し気味に、すくい上げるように唄うものである。

 

「もみ」 

 全体の声調を保ち、唄の「優しさ」を表す節である。

「引き声」で入り、のどの力を緩めながら「エェ」「エェ」「エェ」と三つもんで、四つ目の音を(すくりに入る前のエー)を引き声を使って引き上げながら、間をもって「すくり」に入る。

 *いわゆる「突きもみ」にならないように気を付ける。ギターのトレモロと同様少し く修練を要する。

 

「本すくり」

 唄全体の要である。

「間」をもって引き上げられてきた「エー」をそのまま上に向けて「エェッ」と反転させ「のし」ながら引き声に入る。

 *中には数年でマスターできる人もいるが、多くの人が20年30年苦労に苦労を重ねてもマスターできずにいる人がいるのが現状で、それほどに難解な節である。

教える方も、ハエたたきの要領だとか、トンカチでくぎを打つ要領だとか、その他様々

な表現で、教えるのに苦労しているようである。師匠から口移しで教えてもらうか、

CDとかで色々な名人の唄を何百何千回とひたすら聞いて会得する他ない。

「間」をもって引き上げられてきた・・・という部分はちと分かりにくいかもしれないが、私は要は「もみ」から「すくり」に移るときに、「引き声」を入れなさいという意味だと解釈している(尤もその「引き声」自体が「すくり」の一部を形成しているわけだが)。「引き声」を使わないといわゆる「ねじり」という現象が出て、ああ、この人は「すくり」をねじってるねと言われることになるわけです。

 

 

「すくい」

 「節度」と同様に追分の節目をなす重要な節である。

引き上げられた「エェッ」を瞬時に弾ませながら「二声上げ」に入る。

 *波が岩に当たって返るイメージ、下からすくい上げる感じで唄うとよい。

 

「半すくり」 

 「本すくり」に似ているが、低い方へ導くための節である。

「間」をもって引き上げられてきた「オー」を「オォッ」と声を下げ、反転させ「のし」ながら引き声に入る。

 *「本すくり」と「半すくり」の区別は基本譜を見れば一目瞭然だが、意識せずとも唄い分けられるようにならねばならない。「本すくり」が陽とすれば、この「半すくり」は陰といえるが、個性が出やすい節である。

 

「止め」

 出だしと同様大事な節で、唄全体を引き締める。

「止め」に入る前の「二声」の二つ目の「もみ」を心持もち上げてから「止め」に入る。「止め」は残された息を腹に力を入れて「オォ」「オォ」「オォ」「オォ」と四つではっきり止める。

 *各節の最後の踏ん張りどころである。どうしても息が苦しくなるので尻切れたり、流れたりしがちになるが、ここを力強く止められるかが追分の出来を左右するのである。二つ目の「もみ」を心持もち上げてからというところが肝である。

 

                                 (続く)