わが世相観

 島国のゆえに、鎌倉時代中期の「元寇」以外はほとんど外敵に侵されることもなく、ひたすら内争に明け暮れて来た日本は、鎖国ゆえに外国がどのような発展を遂げていたかを知らず、徳川三百年の太平の世を謳歌してきたわけですが、黒船の到来により如何に外に備えてこなかったかを思い知ったのである。と同時に薩長を中心に尊王攘夷の動きが現れ、まさに内憂外患の状態に立ち至ったのであります。
 しかしながら、逆に言えばこの時代、鎖国してても皆が暮らしていけたということですね。昨今の様に外国から輸入しなければ暮らしていけない、一朝事ある時に輸入がストップしてしまうとにっちもさっちもいかなくなってしまうなんて事はなかったわけだ。
 明治維新により徳川幕藩体制が崩壊し、薩長を中心とした明治政府が出来上がると、国を守るためには富国強兵が必要であると悟った中央政府は積極的に海外に人を派遣し、国を守るために必要な知識を学ばせたのである。
 勤勉を絵にかいたような日本人は、軍艦を造り、軍隊を組織し、あっと言う間に列強に負けないだけの力をつけたのです。当時、日本の安全を脅かす存在は清とロシアであった。その安全保障を堅持するためには是非とも朝鮮半島を抑えておく必要があったのだが、幸いにして両戦役とも勝利し目的は達せられたのである。ただしこれをもって朝鮮半島を日本が植民地化したというのは間違っている。あくまでも併合の目的はロシアの南下政策に対抗するためのものであって、欧米のように植民地化したわけではなかったのである。その証拠に欧米の植民地化が単なる「搾取」を目的としていたのに対し、日本のは同化政策であって、日本と同様な近代化を推し進めることにより国防に資することを目的としていたからである。その結果、搾取どころかむしろ持ち出しが多かったのであります。


 だが、それもこれも大東亜戦争ヒトラーナチスと手を組んだことで、すべてが瓦解してしまいました。国際社会に於ける名誉ある地位も吹き飛んでしまったのです。
 戦後まもなく生まれたわしは、むろん戦争は経験していないが書籍や映像記録で戦争の悲惨さやどのような戦いが行われたかは承知しているし、ほとんどがコミンテルンによって仕組まれたものであることも承知している。日本人の怖さ強さを知った連合軍が、戦後行ったことは、押しつけ憲法に代表されるように日本人の牙を徹底的に抜いて腑抜けにすることでした。
 戦後75年を過ぎた令和の時代にあっても、日本の国土にはまだ多くの米軍基地があって、日本を他国の侵略から守るという名目のもとににらみをきかせています。それは残念ながら、核兵器を持ち虎視眈々と世界制覇をもくろむ一党独裁中国共産党や同じく核ミサイルで恫喝外交を展開する北朝鮮が隣にあるのに、対抗手段を持たない我が国が米国の核の傘を必要としているからであります。また、米国からすれば共産圏に好き勝手はさせんぞというための最前線に日本は最適な地政学的位置にあるからして日本とは同盟関係を築けるのであります。万が一日本が共産圏に取り込まれるようなことになれば、米国のプレゼンスは大幅に後退することになるわけで、従って日本との同盟関係は米国にとっても死活的に重要なのであります。
 かつての日本には少なくとも戦前までは「思いやり」だとか「奥床しさ」なんてものがありました。例えば、人ごみの中で足を踏まれたとする。よその国では「なんだこの野郎」と言って何らかの仕返しがくるわけだが、日本人の多くは「踏まれるようなところに足を出していた私も悪うございました」と答えるのです。こんな国が他にあるだろうか。日本人がお人よしと呼ばれる所以です。だが、わしはそんな日本人が大好きです。
 戦後の平和ボケの中で危機意識の欠如した島国日本はどうなってしまうのだろうか。国が亡びる時は内側から亡びると言われます。百田尚樹氏の『カエルの楽園』となってしまうのであろうか。わしはもう古稀を過ぎているので、そう長くは生きられないであろうが、いまの政治屋の現状を見ると暗澹たる気持ちになります。中共国のハニートラップにかかった政治屋が少なからずいる今の日本の政治状況では、押しつけ憲法の改正すらままならないのです。

 今日、憂国の士の筆頭には桜井よしこ女史がいるが、かつては三島由紀夫がいた。残念ながら、昭和45年に自衛隊員の前で演説をしたあとに割腹自殺してしまった。自らの美学に負けてしまったのであろうが、ほしいことをした。ペンは剣より強し、まだまだその文筆の才で世論を喚起することができたであろうに。
 人間が人間である以上、争いのない平和な時代はたとえ一時はあったとしても、長くは続くことはないし、核兵器と言う地球を滅ぼす兵器がある以上、スターウォーズスタートレックの時代がくるのか、それともターミネーターの時代がくるのか、いずれにしろそう遠くない時代にはそういうSFの世界になるのだろう。
 誰が言ったのかは忘れました。どっかの政治家だと思うが「国が何をしてくれるかではなく、自分が国のために何ができるのかを考えよう」と言った人がいる。なるほどそうかもしれん。そこでわしに出来ることを三日三晩考えた結果達した結論は、「鎮魂歌」たる江差追分を謳い上げることだと悟った。