三位一体

私自身は尺八を吹きません。覚えようとしたこともありますが、三日坊主でおわりました。ただし、全国大会に何度か出場した折に多くの尺八伴奏を聴く機会があって、多少は耳が肥えてきたつもりです。特に決戦会に残るレベルの伴奏はさすがに上手な人が揃っていますが、それでも、う~んとうなるくらい素晴らしい吹き手もいれば、ちょっと唄い手と合ってないな~という吹き手もいます。

 かつては伴奏、ソイ掛けはよほどでなければ採点に影響はしていなかったようですが、最近では「三位一体」(さんみいったい)と言って重要視されています。それぞれが自分の役割をしっかり果たすところに混然一体となった追分の素晴らしさが生まれるのであります。

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 まず尺八が、浪のうねりを想わせる如く静かにゆったりと吹き出し、唄い手を追分の世界に引きずり込みます。次いでソイ掛けが唄い手に向かって、さあしっかり唄いなよ、と背中を押す如く気合を込めてソイ掛けする。それを受けて唄い手が ♪かも~め~ と唄い出します。この時の間の取り方に神経を使わねばなりません。

 ソイ掛けは単なるお囃子ではありません。節と節の間は唄い手によっては十分息が吸えるように間延びしない程度に、少し間をとるような配慮も必要です。

  http://esashi-oiwake.com/soigake 

 私などは名人集での岩坂利春氏のソイ掛けを聞いて覚えました。

 

 尺八には正寸管と正律管があります。臨時で尺八伴奏を頼むときには、その奏者がどちらの尺八を使うかを確認しておかないとえらい恥をかくことになります。まあ実際は事前の音合わせくらいは行うでしょうからこういう事故が起きる確率は低いですが、音合わせが出来ないような時もありますし、最近は洋楽器との合奏が増えてきているので律管しか持っていない奏者もいるので注意が必要です。

 正寸管と正律管の違いはfueさんブログから引用させてもらいます。

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●同じ呼称の正寸管と正律管の長さは違ってきます。(2尺3寸管では4㎝も違ってきます) 
1尺6寸管・1尺7寸管・1尺8寸管の三本は正寸と正律はほぼ同じ長さ。

(正律1尺8寸(D管)では54.37㎝、正寸で54.5㎝でわすかに違いますが音はほぼ同じ)
1尺9寸管から両者の長さは違って正律管は正寸管より少し長くなります。
 
①呼称・正寸1尺9寸管は57.6㎝に対して呼称・正律1尺9寸管(C♯管)は1尺9寸1分の長さの 
57.85㎝。差は0.25㎝。まだ差が小さく正寸で正律を代用できる。
②呼称・正寸2尺管60.6㎝に対して呼称・正律2尺管(C管)は2尺4分の61.53㎝。差は0.93㎝
③呼称・正寸2尺1寸管63.㎝に対して呼称・正律2尺1寸管(B管)は2尺1寸6分の65.44㎝。差は2.44㎝。
④呼称・正寸2尺2寸管66.7㎝に対して呼称・正律2尺2寸管(A♯管)は2尺3寸の69.58㎝。
差は2.88㎝。
⑤呼称・正寸2尺3寸管69.7㎝に対して呼称・正律2尺3寸管(A管)は2尺4寸3分の73.96㎝。
差は4.26㎝。
(この長さについてのデータは河童さん理論データから引用させていただきました。)
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 私は昔は二尺で唄えたんですが、今では二尺四寸です。二尺四寸の尺八を持っている人には「表」で吹いてもらいますが、なかなかそれだけの長さのを持っている人は少ないので、その場合には「裏」で吹いてもらいます。つまり八寸の裏で吹いてもらいます。聞くところによると表と裏とでは五律違うと言われていますが、私の場合は二尺四寸の表と一尺八寸の裏が同じ高さに感じます。
裏が吹ける様になれば一人前、ともいわれているように、裏で吹けるようになるには年季が必要のようです。上手な人でもやはり表と裏では音の張りが違うように感じます。できれば表で吹いてもらうのがよいでしょう。
 
 名人になると尺八の外に三味線が付きます。いまは故人となりましたが近江タキ女の水調子は絶品ですな。まさに玄人の芸です。いつか三味線付きで紋付き袴で唄える日がくるのが夢です。まあ、あくまでも夢ですが。
 
 最後に菊地淡水氏の「追分尺八の吹き方」から引用させてもらいます。
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追分の尺八演奏と言っても独奏か伴奏かによって吹き方は違ってきますが、どちらにしても共通して言えることは、尺八を演奏する心と歌を唄う心はおなじでなければならないということです。追分という曲の解釈と内容の表現方法は、音を発生させる技術的な相違はあっても、全く共通なものがあるからです。これをもっと極言すると、歌が唄えないようであれば尺八を吹くことはできません。但し、此の場合、唄うということは必ずしも声を出して唄うことではなく、心で唄うことも含めて、そう言っているわけです。(中略)
 民謡最高の傑作と言われている江差追分は、多くの名人達が、長い間にわたって苦心の末現在の形にしたわけです。山から宿場、港から海路、そして松前江差に至った追分は、馬蹄のひびきや鈴の音、波の音等が精洗されて、民族の名曲といわれるまでに昇華しました。この旋律は悲壮でもあり雄大でもあります。曲の中に潜むこの情緒を解釈しなければ、唄でも本当の演奏はできません。小手先の技術だけでなく、心を北海のたたずまいの中に置いて演奏すべきかと思います。(中略)
 追分の場合、最も重要なことは尺八の音質であります。独奏の場合は勿論のこと、伴奏の場合でも澄み切った純粋な音色が必要になります。ただ指をヒョロヒョロ動かしたり、首を振ったりして唄に追従すればよいというわけにはゆきません。指使いよりもむしろ吹込みの音色に研究を重ねるべきです。また、満足する程音色が出たとしても、これで唄を殺してはいけません。音自慢の人はとかく聞かせたがる傾向があり、唄と競演する形になりがちですが、伴奏は唄をより以上にするため協力するのが、本来の姿であります。
 これも江差に限った問題ではありませんが、特に江差の場合これが肝要です。人間の喉は最高の楽器で、その声は最高の音楽です。この最高のものを引き出し,唄わせるために尺八の前奏があるのです。今、大方の伴奏者は、唄の前の前奏に、唄の最後の節を吹くだけで事足れりとしている様ですが、総ての場合これだけでは芸がなさすぎます。北海道の海のうねりを想い、岸辺に寄せては返す波の音を考えて唄う者のムードを昇揚させるため自分で前奏をつくる位の感覚を持ちたいものです。
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