特級編「止め」

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以前「型より入りて型より出づる」という話の中で、型の中にあっても個性で聴衆を感動させる様な唄い方が今後は求められていくだろう、と言いました。その一つの例として今回は「止め」を取り上げてみます。

 

 「止め」は四つということは決まっていますが、それをどう止めるかは実に千差万別というか、個性の分かれるところだと思います。キリッと止める人もいれば、牛の涎の如き止めの人もいます。師匠によっては、しり上がりに止めるべし、同じ高さで止めるべし、尻下がりに止めるべし、と様々です。どれも一理ある様な無い様なものですが、

要は、唄全体の中でバランスがとれているかどうかであり、一つ間違いなく言えることは、息も絶え絶えの「止め」ではなく、力強く止めなければいけないということです。

生まれつき息の続く人は別にして、多くの人が苦労苦心するのもそこのところでしょう。私なども大いに苦労しておりますです、はい。

 「止め」まで息を続かせ、さらに力強く止めるためには、古来言われているように、各節の前半を速めに、後半をゆったり唄うというのが一つのヒントになると思います。

 

 私はごく最近まで「止め」は七節とも同じだと思っておりました。

ところが昔の人の書いたものなどを見ると、まあ現在もそのまま通用するかは別にして、そこまで突っ込んで唄い込んでいたのかと感心しました。

 例えば、三木如峰氏曰く(「正調追分節」昭和14年)

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 追分節の各節の止めは最も大切であって、又最も面倒と言われている。頗る美しい聲の所有者で節回しが如何に上手であっても、各節の止め方が拙劣では唄そのものに力がなく、聞いて雄大な気分に欠くるものである。本唄の止め方の名称を列挙すれば、

 一節は軽投止、 二節は投止、 三節は結止、 四節は上止、 五節は大投止、

六節は結止、 七節は上止である。止めは各節ともに正確にハッキリ止めなければならない。

 止めが不確実であれば唄の力と品格を傷け、気分一杯の唄を唄う事が出来ないから、十分の研究をして、唄全体がキチンと整った歌を歌ふやうにしなければならない。追分節に於ける止め方を殊更やかましく言うのも亦当然である。

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 確かにそう言われてみると、「止め」が一様でなく、無意識のうちに一、二、五節は投げるような止め方をしているように感ずるから不思議だ。

 

 また、湯浅竹山人氏の「歌謡集稿」の中で安田磯女が言うには

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追分節の妙味も困難も、声を張り上げたり、喉をころばしたりするところに有るのではなく、落としと切りと止めとにある。第二節タカシマの止めは「振り切り」という。第三節のオヨビモの落としは「下止め」という。第五節セメテは中音の「振り切り」だ。・・・第四節のナイガは陽で止め、第七節イソヤマデは陰で止めるのだという。

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まあなんだな、磯女の陰陽論は「本すくり」と「半すくり」の関係みたいなものかなと思ったりもしますが、今は陰陽まで考えて唄っている人はまずいないでしょうな。

 

 しかしながら、温故知新というか、こういう昔の人の真剣な探求の上に今日の江差追分が出来上がってきたんじゃないでしょうか。そういう意味では、これらの引用も追分愛好家にはまんざら意味のないことでもないでしょう。