お好み格言

 『格言』とは、人生の真理や万人への戒めを簡潔にまとめ、教訓とする言葉のことであり、金言、処世訓、箴言(しんげん)などともいう。俗間に広く流布し、昔から言い伝えられているものを諺(ことわざ)、俚諺(りげん)という。英語で言うとproverbが相当する。
 亡くなった親父が口癖のように言っていた言葉が二つあります。一つは『人を見たら泥棒と思え』であり、もう一つは『金のないのは首のないのと同じだ』である。事あるごとに聞かされていたので、耳にこびりついています。漠然とどういう意味なのかはわかりますが、実際どういう意味なのかをちょっと調べて見たくなった次第です。

 

『人を見たら泥棒と思え』
 他人を軽々しく信用せず、まずは相手が泥棒だと疑ってかかるくらい用心しろということ。
Man is a wolf to man.(人間は人間にとって狼)
Give not your right hand to every man.(誰彼かまわずむやみに手をゆだねるな)
Never trust a stranger.
(見知らぬ人を信じてはいけない)
Don't trust anyone.
(やたらに人を信じてはいけない)

 歌を歌いながら夜道を歩いているときに、後ろから人がついてきたからといって、自分の唄に聞きほれてついてきてるなんて決して思ってはいけない。強盗かもしれんのだから。
 昨今はやりの「おれおれ詐欺」なども、この格言を常に頭に置いておけば、ひっかかることはなかろう。
 そういえば、「渡る世間は鬼ばかり」というドラマがあったな。 まあこれは『渡る世間に鬼はなし』(世の中には鬼のように無情な人ばかりでなく、親切で人情に厚い人もいるということのたとえ)をもじったものである。
 人を軽々しく信用するな、という意味では『七人の子は生すとも女に心許すな』Do not trust a woman even if she has borne you seven children.なども同類であろう。
詩経」からの言葉だが、七人の子をもうけるほど長年連れ添った妻にも、気を許して大事な秘密を打ち明けてはいけない。女には気を許すなということ。
 わしなどは事あるごとにこの言葉を家内に聞かせるから、さぞかし家内も心の内ではこの野郎と思っていることであろう。桑原桑原。

 

『金のないのは首のないのと同じ』
 この言葉も事あるごとにわしの頭に浮かぶ言葉である。
 わしは歌舞伎は見ないからよく知らんが、歌舞伎 恋飛脚大和往来の一部、封印切 の中に出てくる台詞らしい。
 内容は遊女を身請けしようとした若旦那が、金が足りず心ならずも公金に手をつけてしまい二人で逃避行するのだが、その身請けの場面でライバルが若旦那を煽るために言う台詞である。
 本当に昔の人はうまいことを言うなあと感心するよ。金がなけりゃ食い物が手に入らんから、首を括るしか無くなるわけだ。今でも時々餓死による孤独死のニュースが流れ、手元に五円玉が一枚だけだった、なんてのを聞くと何とも言えない哀れさを感じる。
 金はいくらあっても困らんが、「杜子春」じゃないが、『金の切れ目が縁の切れ目』なんてのもある。寝るとこ住むとこがあって、三度のおまんまが食えりゃ幸せだろ。

 

『転ばぬ先の杖』
 失敗しないように、万が一に備えてあらかじめ準備しておくこと
語源・由来は、江戸時代における「伊賀越道中双六」という浄瑠璃にあるとされている。
 危機管理の要諦は「最悪の事態を想定して事前に備えよ」であり、「万が一起きてしまったら被害を最小限に抑えよ」である。
Look before you leap.
備えあれば憂いなし。 念には念を入れよ。 濡れぬ先の傘。なんてのも似たような戒めだ。
 わしの爺さんと親父は関東大震災を経験しているから、わしの子供の頃は、枕元には必ず着替えを置いて寝るように躾けられたものだ。もっとも、いまは防災袋なんていう便利なものがあるがね。
 地震とか疫病はほぼ定期的にやってくるのがわかっていても、『喉元過ぎれば熱さを忘れる』で、いつも『泥縄』対応になってしまう。『熱ものに懲りてなますを吹く』ようじゃいかんが、適度な対策は常日頃から取っておかねばいかん。『後悔先に立たず』である。『渇して井を穿つ』のでは『後の祭り』である。

 

『李下に冠を整さず』(りかにかんむりをたださず)
『瓜田に履を納れず』(かでんにくつをいれず)
 李(すもも)の木の下で手を上げて、冠が曲がっているのを正すと、さも実を盗もうとしているように見えるから、まぎらわしい行為はするなという戒めである。
瓜畑では屈むと瓜を盗むと疑われるので、履が脱げても履き直すなという戒め。
『文選』-古楽府・君子行「君子防未然、不処嫌疑間、瓜田不納履、李下不整冠」から出た語。
 たとえは古いが、現代においても十分に通じる戒めである。
 古代ローマユリウス・カエサルは自分の妻に不倫の噂が立った時にこう言って離縁した。《カエサルの妻たるものは疑われることすらあってはならない》Caesar’s wife must be above suspicion. 実際は、妻に飽きていたのかもしれないな。
 一度よからぬ噂が立てば、痛くもない腹を探られるようなことにもなりかねないのが世間というものである。この言葉は中国発の戒めだが、まだこの頃の中国はこういう慎み深い言葉で処世を戒める人がいたんだな。今ではわしの処世訓の中にしっかりと組み込まれている言葉である。

 

『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』
Asking makes one appear foolish, but not asking makes one foolish indeed.
 この言葉は祖父からよく聞かされたものである。
 知らない事を人に聞くのはその時は恥ずかしいことでも、聞かずに一生その物事を知らないまま過ごせばきっと後悔することになるということです。知ったかぶったりせず、恥ずかしい気持ちを乗り越えて、素直に聞いて学ぶべきだという教えだ

 ちょっと道行く人に道順を聞けばすぐ辿り着くのに、なまじっか沽券にかかわるなどと聞かずに行けば、いつのまにかとんでもない所に迷って、結局無駄な時間を費やしてしまうことになるんだ。
 あの時、断られる恥をおそれず、思い切って恋を打ち明けておけば、一生後悔することもなかったであろうに。

などという場合にも使われる言葉である。
「聞くは一時の恥,聞かぬは末代の恥」ともいう。
「とふは一旦のはぢ,とはぬはまつ代のはぢ」『毛吹草』が出展。
『毛吹草』(けふきぐさ)は、江戸時代の俳諧論書。1645年刊行。編者は松江重頼

人生至るところ追分あり

 人生とは人の一生である。至るところ山河あり。また山あるところ谷がある。立体的のみならず、平面的でもある。
 山があろうと谷があろうと、立体的であろうと平面的であろうと、過ぎてみれば夢、幻のごとしである。 


 「追分」とは道が二つに分かれたところを言う。オギャーと産まれて70有余年、自分の歩む方向を自分で選べるようになってからは、「追分」にさしかかる度にどちらかの道を選んできた結果が、今の自分なのである。ゲームのようにリセットできないところが人生なのです。リセットして生まれ変れたとして、都合よく20才の頃に戻れるなんてことはまずあり得ないわけだ。あの時、別の道を歩んだらどうなっていただろうと想像を逞しくすることもまた楽しからんやだ。

 人生を歩んでくると、ふと道が途切れて断崖絶壁が目の前に現れる瞬間がある。これもまた一種追分である。道は二つだ。飛び降りるか、引き返して別の道を探すかだが、引き返した途中で交通事故で死ぬかもしれない。

「われ事に於いて後悔せず」とは宮本武蔵の銘だが、凡人のわしの場合は「人生は後悔の連続だ」である。
 かくのごとく「追分」は奥が深いのである。この「追分」、古くは「送分」とも記されたが、要は牛馬を追い分けるところからきたようだ。
 「追分」は、古くより地名や駅名、そして唄として残っている。代表的なものを拾ってみましょう。

 

『地名』 (以下、Wiki
東北地方
桑折追分 : 奥州街道羽州街道の分岐。福島県伊達郡桑折町谷地字追分と現在でも地名として残っており、明治初年までこの追分に右陸前街道、左羽前街道と刻んだ石の道標があったという。
関東地方
幸手追分 : 日光街道奥州街道日光御成街道の分岐に儲けられた宿場。現在の埼玉県幸手市
新宿追分 : 甲州街道から青梅街道の分岐。内藤新宿の西端。現在の東京都新宿区。
本郷追分 : 中山道日光御成街道の分岐。現在の東大農学部正門前(東京都文京区)で、近くに本郷追分停留所がある。ここ付近は現在、中山道国道17号本郷通り・通称なし)、日光御成街道の単独区間は東京都道455号本郷赤羽線本郷通り)となっている。
平尾追分 : 中山道と川越街道の分岐。現在の板橋郵便局前交差点。現在、ここ付近は中山道板橋区道(旧中山道)、川越街道の単独区間国道17号中山道)となっている。
中部地方
永平寺追分 : 勝山街道と永平寺道との分岐。現在の福井県福井市
信濃追分 : 中山道と北国街道(北国脇往還)の分岐に設けられた宿場。現在の長野県北佐久郡軽井沢町

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(分去れ)さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを追分の宿


安曇追分 : 千国街道の池田通りと松川通りの分岐。現在の長野県安曇野市
垂井追分 : 中山道美濃路との分岐。現在の岐阜県不破郡垂井町
楽田追分 : 犬山街道(稲置街道)と上街道 (木曽街道)との分岐。現在の愛知県犬山市。かつて名鉄小牧線の駅(追分駅 → 楽田原駅)があった。
近畿地方
日永追分 : 東海道と伊勢街道の分岐。現在の三重県四日市市
草津追分 : 東海道中山道の分岐に設けられた宿場。現在の滋賀県草津市

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        歌川広重『木曾街道69次の内 草津追分』

髭茶屋追分 : 東海道大津街道伏見街道)の分岐。現在の滋賀県大津市
神岡追分 : 因幡街道と出雲街道の分岐。兵庫県たつの市神岡町追分として名を残す。
中国・四国地方
美作追分 : 出雲街道と津山備中松山往来(備中往来)の分岐。岡山県津山市真庭市の境に位置し、JR姫新線美作追分駅中国自動車道美作追分パーキングエリアで名を残す。
笠岡追分 : 東城往来(雲州街道)と松山往来(作州街道)の分岐。岡山県笠岡市の笠岡と小平井にまたがる一集落地区名、岡山県道34号笠岡井原線岡山県道48号笠岡美星線が分岐する交差点名、井笠バスカンパニーバス停留所名として名を残す。
西霞追分 : 尾道街道(鴨方往来)と鞆街道(鞆津往来)の分岐。現在の広島県福山市霞町。
海外
台中追分 : 海岸線と成追線の分岐。現在の台湾台中市大肚区
南投追分 : 台14線の分岐。現在の台湾南投県仁愛郷翠峰。
台東追分 : 知本越嶺道の分岐。現在の台湾台東県卑南郷。
追分(太平山) : 現在の台湾宜蘭県大同郷。

  台湾の追分は日本統治時代の命名であろう。

 

『駅名』
追分駅
追分駅 (北海道) - 北海道勇払郡安平町にあるJR北海道室蘭本線・石勝線の駅。
追分駅 (秋田県) - 秋田県秋田市にあるJR東日本奥羽本線男鹿線の駅。
追分駅 (滋賀県) - 滋賀県大津市にある京阪京津線の駅。
追分駅 (三重県) - 三重県四日市市にある四日市あすなろう鉄道内部線の駅。
追分駅 (台中市) - 台湾台中市大肚区にある台湾鉄路管理局西部幹線(海岸線、成追線)

        の駅。
その他
安曇追分 - 長野県安曇野市にあるJR東日本大糸線の駅。
信濃追分駅 - 長野県北佐久郡軽井沢町にあるしなの鉄道線の駅。

      1909年(明治42年)6月25日 - 国有鉄道の追分仮停車場として開業。

      1923年(大正12年)10月1日 - 信越本線信濃追分駅となる。
美作追分駅 - 岡山県真庭市にあるJR西日本姫新線の駅。
追分口駅 - 福井県福井市にあるえちぜん鉄道勝山永平寺線の駅。
東追分信号場 - 北海道勇払郡安平町にあるJR北海道石勝線の信号場。旧東追分駅
廃止された駅
旭川追分駅 - 北海道旭川市にあった旭川電気軌道東川線の駅。
石狩追分駅 - 北海道雨竜郡雨竜町にあった日本国有鉄道札沼線の駅。
追分駅 (静岡市) - 静岡県静岡市にあった静岡電気鉄道静岡清水線の駅。
追分駅 (浜松市) - 静岡県浜松市にあった遠州鉄道奥山線の駅。
追分停留場 - 群馬県高崎市にあった東武高崎線の停留場。
改称された駅
新宿追分駅 - 東京都四谷区にあった京王電気軌道の京王新宿駅の旧称。
追分駅 (神奈川県) - 神奈川県伊勢原市にある大山観光電鉄大山鋼索線大山ケーブル駅

         の旧称。
追分駅 (山梨県) - 山梨県南巨摩郡富士川町にあった山梨交通電車線の甲斐青柳駅の旧

        称。
追分駅 (愛知県東春日井郡) - 愛知県瀬戸市にある名古屋鉄道瀬戸線瀬戸市役所前駅

             旧称。
追分駅 (愛知県丹羽郡) - 愛知県犬山市にあった名古屋鉄道小牧線の楽田原駅の旧称。
追分駅 (中国) - 中華人民共和国黒竜江省にある中国鉄路総公司図佳線の申家店駅の旧

       称。
          
追分節 
江差追分(北海道)
松前追分(北海道)
宮城追分(宮城)
秋田追分(秋田)
本庄追分(秋田)
昔追分(秋田)
酒田追分(山形)
越後追分(新潟)
片品追分(群馬)
河口湖追分(山梨)
奈良田追分(山梨)
五箇山追分(富山)
信濃追分(長野)
親澤追分(長野)
隠岐追分(島根)
舟追分(島根)
初瀬追分(奈良)

 

 先日、国木田独歩『たき火』という小品の中に、次の文章を見つけました。
 《落葉を浮かべて、ゆるやかに流るるこの沼川を、漕ぎ上る舟、知らずいずれの時か心地よき追分の節おもしろくこの舟より響きわたりて霜夜の前ぶれをか為しつる。あらず、あらず、ただ見るいつもいつも、物いわぬ、笑わざる、歌わざる漢子の、農夫とも漁人とも見分けがたきが淋しげに櫓あやつるのみ。》

 逗子の田越川(御最後川)での情景を描写したものであるが、この「追分の節」とはどんな節であったのだろう。独歩に訊いてみたいものだ。

追分を唄って強盗に遭う

 まあなんだな、芸事に限らずなにごとも「キチガイ」と言われるくらいでないと上達しないもんだよ。わしなどは、追分を始めた頃のことだが、唄いながら歩いていて、よく道行く人に振りかえられたもんだ。夜中にどこかの家の軒下で唄っていて、このやろ~って追いかけられたこともあったな。
 一度などは、会社帰りに軽く一杯やって、ほろ酔い加減でうなりながら歩いていたら、後をついてくる人がいたんで、てっきりわしの追分に聞きほれてついてくるのかと思っていたんだ。ところが、街灯が途切れて暗くなったところにきたら突然目の前が真っ暗になって、気がついたら地面に倒れていて、「金を出せ」と脅されてるとこだった。

 こりゃ下手したら命がないなと思ったもんだから、とっさにバッグがそこらにあるだろうと言ったら、それを持って立ち去ったので助かった、なんてことがあって、それ以後、夜道を歩いていて後ろから人がついてきたら必ず振り返って顔を見る癖がついたよ。もちろん、夜道で唄うのもやめた。「キチガイ」と言われるのは名誉な事だが、命を取られるのはごめんだ。

咽喉に良い・悪い飲食物について

 「春の海」の作曲で知られる宮城道雄の書いたものの中に『声と食物』というのがある。ちょっと面白いので引用します。
ーーーーーーーーーー
 (中略)それと比較して、欧州人の歌うあの綺麗な声は、肉食をしているためであると思っている。それで、声楽家三浦環女史が唄う前にはいつも、ビフテキを食べられるということを聞いた。また、私の奉職している音楽学校で、観世流の家元とよくお目にかかることがあるが、観世氏は非常に大事なお能のある前には、ビフテキを二皿も三皿も平らげるということを聞いた。
 すべて、歌う前には動物性の油は咽喉によいが、植物性の油はよくない。テンプラなどを食べた後は声が出ない。或る義太夫語りは或る地方に行って、初日の日にテンプラを食べて出演したため声を悪くして、初日を滅茶々々にしたという話がある。このテンプラの話も唄う直ぐ前のことで、時間が経てば差し支えないと思う。
 また、私の経験によると、林檎のようなもの、レモンのような柑橘類の少し熟したものを食べると、声のよく出ることがある。それも、人によって違うかもしれぬが、多くの場合一寸酸味のあるものはよいようであるが、鮨などはあまり食べない方がよく、酢は殊にいけない。そして、声を出すのに大切なことは、胃を悪くしないことである。私は唄う前には決して食物をとらない。たとえ食べても、腹八分目にしておくのである。重ねていうておくが、この食養生は唄う直ぐ前のことである。
ーーーーーーーーーー
 まあ、ビフテキについては、スタミナをつけるためにコレステロールを上げなければいけないわけで、それはそうなのだが、わしの様に糖尿病の持病があり、コレステロールを下げる薬をのんでいるものにとっては痛しかゆしだな。また、鮨も大好きなんだが、唄う直前に食うこともないからまあよかろう。しかしながら唄う日の朝食に酢のものとかテンプラが出たら、念のため避けたほうがよいのかもしれん。機会があったら試してみようか。
 『声と食物』の中で話の出た三浦環というのは、大正から昭和にかけて活躍したオペラ歌手で、欧米プリマドンナ生活20年という、日本の声楽家で初めての記録を作った人であります。
 彼女もお蝶夫人という自叙伝を書いていますが、その中で、彼女は15年間のアメリカでのプリマドンナ生活で、声を美しくするために、歌う前と幕間に生卵を飲む習慣があり、また、毎朝、普通の十人前はありそうな大きなビフテキと鶏を一羽食べた。それで「蝶々夫人」を二千回以上も歌えたのだそうだ。わしもこの話を読んで、毎朝、生卵だけは飲むことにした。
 彼女が言うには、日本でも昔から義太夫長唄をやる人は咽喉にさわるからといって茄子や里芋は食べない。刺身のワサビも食べなかったそうだ。彼女はまた水を飲むのが好きで、食事の時もアルコールの代わりに水を飲んだのです。
 歌というものは、ただ単に五線紙に書いてあるお玉杓子を歌ったのではいけない。歌はいつでも「真心」と「愛情」と「誠実」をこめて歌わなければいけない、というのが彼女の持論です。

 歌う直前には水の飲むのがおすすめです。これは咽喉を乾燥させないためです。声帯は乾燥に弱いのです。この水はもちろん熱くもなく冷たくもない常温の水のことです。水が冷たければ、暫く口に含んで常温にしてから少しづつ飲み込むとよいです。直前にアイスクリームを食すなぞはもってほかである。
 カフェインを含むコーヒー、お茶は少量なら問題はなさそうですが、一応、体外に水分を排出する作用があることは承知しておきましょう。アルコールは適量であれば、血流が良くなり声帯効率も良くなるようですが、やはり体内から水分を奪っていきます。


〇咽喉に良いといわれるもの
常温水ーー保湿  
・蜂蜜ーー保湿・殺菌                             
・生姜ーー免疫力を高める     
・大根ーー抗炎症作用 
・牛肉ーースタミナ  金欠の場合は、卵(生卵でもゆで卵でもよい)

    
〇咽喉に悪いといわれるもの
・煙草ーー喉だけじゃなく肺にも悪かろう  
・アルコールーー声帯を充血させ炎症させる
        「飲むなら歌うな、歌うなら飲むな」という標語がある
・香辛料ーー少量なら問題ないようだが、避けるのが無難
・ナッツ類ーー歌う前はナッツは食べない。噛み砕いたナッツの小さな粒が声帯に悪さ
       をする
 ここに挙げた咽喉にいい食べ物、悪い食べ物も、一応の目安であって、個人差があるので最終的には自分で選び取っていくしかないというところでしょうか。
何事も過ぎたるは及ばざるがごとし、身の程を知るということが肝要です。
 それとこれは、咽喉とは直接関係ないが、わしの場合は、本番で歌う2日前から風呂には入らないことにしている。体調を崩すことがあるからです。

高い声を美しく出す

 わしは30代の頃は二尺で唄っていました。それが三十年のブランクがあり、定年退職後に再開したせいで、今では二尺四寸です。低音は昔から得意だったが、高音がダメージを受けて出にくくなりました。それでもなんとか工夫しています。
 五節を例にとってみましょう。足は直立しないで若干余裕をもたせて立ちます。やや前かがみに顎を引き、丹田に力を入れ、口を十分に開けて「♪あれ~」と入ります。次いで、「♪が~」のところでは、顔を徐々に上げ、水平線に向かう気持ちで万感の想いを込めて唄い上げます。この時、「♪が~」の母音「あ~」の部分を口を十分に開けて、美しく唄わねばなりません。以前、追分名人の一人に指導を受けた時に、《あなたの五節はどの名人よりも美しい》と言われて、大変うれしく思ったと同時に自信がつきました。
 二節の「♪鳴く音に」の「に」についても五節と同様の事が言えましょう。

息の吸い方について

 歌を歌う時は,息は鼻から吸うのが理想である。
 口から吸うとどうしても声帯が乾燥しやすく音程が不安定になりがちだからである。ヴォイス・トレーニングの教本なんぞを見ても、大体において、鼻から吸うことを推奨しているようです。とはいえ、わしのように穴が狭く詰まりやすい鼻の持ち主は、息継ぎで素早く鼻から吸うなんて芸当は出来やしないので、三日三晩寝ずに考えた末に悟った方法を特別大サービスで披露しよう。勿論「正調江差追分」を唄う時の息の吸い方である。
 世の中には、生まれつき息が長く続く人がいるんですね。そういう人に習うと、病気にかかったことのない医者が、薬の副作用に悩む患者の気持ちが理解できないのと同じで、音感の確かな人が音痴の人を理解できないのと同じで、また方向感覚が確かな人が方向音痴の人を理解できないのと同じで、息が続かないということが理解できないから、適切なアドバイスが出来ないのです。 であるからして、これはわしと同じように息継ぎに苦労している人のために、参考になればと思って、述べるのです。
 まず一節ですが、前奏の後に来るソイ掛けが終わってから、おもむろに息を吸う人がほとんどだと思いますが、わしの場合それでは間に合わないので、ソイ掛けの後半あたりから、まず腹に空気を入れて、次いで肺に空気を入れます。ここまでは口から吸います。そして最後に口を閉じて鼻から少し入れます。つまり三段構えで吸うわけです。これを「七三の構え」といいます。口から七分、鼻から三分ということです。別におちょくってるわけじゃないです。本人は実にまじめに実行しているんですから。
 二節から四節は鼻で吸うのは間に合わないので、口で吸います。もちろん、鼻の穴の大きい人は鼻から吸うのよいでしょう。五節は余裕があるので一節と同じように吸います。六節七節は三節四節と同じです。まあこれはあくまでも、わしのやり方です。
 息継ぎの時に鼻で息を吸うのはいいが、息継ぎのたびに横を向いて息を吸う人がいます。これは、息継ぎの音を聞かれたくないというところから、かくいう行動に出たものと見受けるが、息継ぎのたびに屁をひるような音がするってんなら止むをえないが、そうでなければ、ちと見苦しいです。最近は全国大会なぞでも、唄う姿も採点の対象になっているようなので、損をしてるのではないでしょうか。
 うら若き乙女にはお勧めできないが、漁師あがりの人などはむしろ、すするような音をたてて息継ぎをすることで野性味を出し、それがまたなんとも追分好きにはたまらん魅力を醸し出すなんてこともかつてはあったもんです。
 最後にもう一つ、練習の時は息が続くのに、舞台にあがると緊張して息が続かなくなる人がいるが、これも上がらない人からすれば、なんであがるのってなもんですが、あがっちゃうんだからしょうがねーだろとしか答えようがないわけだ。統計的にB型の人が名人になる確率が高いと言われてますな。
 対策としては、先人が色々考えてくれています。できるだけ舞台に多く立って度胸を付けなさいとか、手のひらに人と書いてのみ込みなさいとか、救心をを飲むといいよとか、その他ありとあらゆることが語られているが、要は自分に合った方法を見つけることだな。

海にて唄う

 わしの住んでる家は海岸まで歩いても15分位のところなので、体調不良になる前はよく散歩がてら海まで行きました。途中、海の手前に県立の海浜公園があるので、中を一周散歩してから海に出ます。一周3キロくらいあるので、ちょっとした運動にはなります。
 途中、ベンチに座って一休みがてらちょっと小声で追分を唄いますが、一度だけ犬の散歩中の中年女性から「いい声ですね~、詩吟ですか」と声をかけられたことがあります。思わずにんまりしましたが、残念ながら、「詩吟ですか」と聞かれたので、ちょっと座ってお話でもしませんか、と誘うのはやめました。なかなかに江差追分を知っている人に出会うことはないものですな。           
 祖父が漁師であったせいで、子供の頃にはよくこの浜辺で地引網の手伝いをしたものです。もっとも、小学校に入ったかどうかという位の年だから、網を引くというよりは太い綱にぶら下がってたようなものだったろう。それでも、網を引き終わって、色々な魚がピチピチ跳ねる様子を見るのは別世界を覗いた気がして感動したものです。
 その頃は、波打ち際を足でさぐると、大きなハマグリが面白いように採れましたが、今では何艘もあった船もすっかり影を潜めて、ただの浜辺をさらしています。
 左に江ノ島、右に富士山、正面に伊豆半島がかすんで見え、その手前にはサザンの歌で知られる烏帽子岩(姥島)がポツンと見えます。
 その海に向かって追分を唄うのが日課のようになっておりました。湘南名物のサーファーがうようよいる日もありますが、誰もわしに関心を示す人はいません。ただ波打ち際に群れて羽を休めている鴎だけが聴いてくれます。
 江ノ島を鴎島に、烏帽子岩を神威岩に、伊豆半島蝦夷地に見立てて水平線に向かって唄うのは実に気持ちの良いものです。
 「浜辺の歌」の作詞で知られる林古渓が子供の頃近くに住んでいて、この海岸を思い浮かべながら作詞したことも最近わかりました。また昨年、最寄り駅の開通百周年を記念して、電車発車時の音楽もこの浜辺の歌になりました。
 はやく体調不良を克服して、またここで精一杯唄ってみたいものです。