正調江差追分の唄い方2
ここでは江差追分会師匠会の「江差追分のうたい方」を参考に、八つの基本の節についておさらいしておきましょう。これらの節は「七節七声」とともに正調江差追分のまさに正調の正調たる所以であります。
なお、基本譜等の図は、リンクをはっておきます。
http://esashi-oiwake.com/utaikata
http://esashi-oiwake.com/1_7setu
※は追分会の注釈
*はわしの注釈
「出だし」
七節までの声の高さや調子をきめるたいせつな基礎をなす節である。
ソイの調子に合わせて「カモー」と下からうえに向かって素早く入り、ほんの少し「間」をおいて「メ」にはいる。
*「出止め」というように古来より「出だし」と「止め」が大切だと言われており、この「出だし」でほぼ唄全体の出来が決まるといっても過言ではない。また聴く人がゾクゾクッとくるような出だしでなければいけません。名人という名の付く人は皆この出だしが美しいです。この「出だし」の肝は下からうえに向かってというところで、
上っ調子に出てはいけないという事です。丁度、腸を絞るように声を飲んで、哀情をもって 唄い出すところに無限の味わいがあります。
「せつど」
追分の「節目」をなす重要なものであり唄全体の流れをひきしめるとともに「止め」まで息を続かせる役目を果たす節である。
*「せつど」が「止め」まで息を続かせる役目を果たすというのは注釈が必要かもしれない。
すなはち「せつど」で息を整えるという意味なのかどうかである。現に「せつど」で息を吸っていますと主張する人もいるので、一概に否定できるものではないが、わし自身は「せつど」で息が吸えているという感覚はないし、名人といわれる人でも年を取って息が続かなくなっている人が多いという現状を見ると、「せつど」で息が吸えてるわけでもなさそうである。
もっとも、「七節七声」の大原則からすれば、途中で息を吸うのは正調江差追分ではなくなるわけで、単なる江差追分になってしまうのである。
たとえ審査員の耳をすり抜ける程に巧みであっても、邪道の誹りはまぬかれまい。
三浦為七郎のように、また最近では芳村君男のように「せつど」のない唄い方でも立派に「止め」まで息は続いているわけで、「せつど」が「止め」まで息を続かせる役目を果たすという意味がどのへんにあるのか、わしには不明であります。
この「せつど」は極端な言い方をすれば、いくら強くてもよい、ここが弱いと、ああこの人は「せつど」が弱いね、と評価されコンクールの点数に大きく響くと言う審査員もいるくらいである。
因みに、アフリカのさる部族では息を吸いながら話ができるそうだ。ちと真似はできそうもないがね。
「二声あげ(のし)」
追分の情緒を出すための重要な節である。
「メ」から即「エッ」と節度をはね、腹に力をいれて声を前に出す。(波のうねりの如くのす)そして、寄せ来る波が引く感じを出しながら節度に入る。
※のす(押すように声を出す)
*「七節七声、二声あげ」と古来より言われているように、追分のツボであり、深みのある情緒を出すために核となる節である。押し気味に、すくい上げるように唄うものである。
「もみ」
全体の声調を保ち、唄の「優しさ」を表す節である。
「引き声」で入り、のどの力を緩めながら「エェ」「エェ」「エェ」と三つもんで、四つ目の音を(すくりに入る前のエー)を引き声を使って引き上げながら、間をもって「すくり」に入る。
*いわゆる「突きもみ」にならないように気を付ける。ギターのトレモロと同様少しく修練を要する。
「本すくり」
唄全体の要である。
「間」をもって引き上げられてきた「エー」をそのまま上に向けて「エェッ」と反転させ「のし」ながら引き声に入る。
*中には数年でマスターできる人もいるが、多くの人が20年30年苦労に苦労を重ねてもマスターできずにいる人がいるのが現状で、それほどに難解な節である。
教える方も、ハエたたきの要領だとか、トンカチでくぎを打つ要領だとか、その他様々
な表現で、教えるのに苦労しているようである。師匠から口移しで教えてもらうか、
CDとかで色々な名人の唄を何百何千回とひたすら聞いて会得する他ない。
「間」をもって引き上げられてきた・・・という部分はちと分かりにくいかもしれないが、わしは要は「もみ」から「すくり」に移るときに、「引き声」を入れなさいという意味だと解釈している(尤もその「引き声」自体が「すくり」の一部を形成しているわけだが)。「引き声」を使わないといわゆる「ねじり」という現象が出て、ああ、この人は「すくり」をねじってるねと言われることになるわけです。
「すくい」
「節度」と同様に追分の節目をなす重要な節である。
引き上げられた「エェッ」を瞬時に弾ませながら「二声上げ」に入る。
*波が岩に当たって返るイメージ、下からすくい上げる感じで唄うとよいでしょう。
「半すくり」
「本すくり」に似ているが、低い方へ導くための節である。
「間」をもって引き上げられてきた「オー」を「オォッ」と声を下げ、反転させ「のし」ながら引き声に入る。
*「本すくり」と「半すくり」の区別は基本譜を見れば一目瞭然だが、意識せずとも唄い分けられるようにならねばならない。「本すくり」が陽とすれば、この「半すくり」は陰といえるが、個性が出やすい節である。
「止め」
出だしと同様大事な節で、唄全体を引き締める。
「止め」に入る前の「二声」の二つ目の「もみ」を心持もち上げてから「止め」に入る。「止め」は残された息を腹に力を入れて「オォ」「オォ」「オォ」「オォ」と四つではっきり止める。
*各節の最後の踏ん張りどころである。どうしても息が苦しくなるので尻切れたり、流れたりしがちになるが、ここを力強く止められるかが追分の出来を左右するのである。二つ目の「もみ」を心持もち上げてからというところが肝である。
(江差昔の街並み)
以上を踏まえて、さらなる情緒情感はいったいどのようにすれば出せるのであろうか。
ここから先は、初級、中級を脱した人向けの内容となろうか。
初級、中級を脱した人とは、基本となる八つの節・・・出だし、せつど、二声上げ(のし)、もみ、本すくり、すくい、半すくり、止め、をマスターした人のことですが、この基本をマスターすること自体並大抵ではないのは周知のことであります。
江差追分でいうところの情緒を出すには、ひたすら練習稽古するしかないと言う人もいるようだが、それでは答えになっていない。
なるほど基本をマスターした後はひたすら唄い込んで、自然と情緒が感じられるような追分にするというのが理想だが、問題はどう練習稽古したらいいのかということだろう。
情緒を出すためには何と言っても押し引き、緩急、メリハリが大切であります。
まず押し引きだが、
「のし」には押すのしと引くのしの二種類があって、押すのしの方は「二声上げ」と
いって、各句の後半の節々にあたる母音をのばす部分を押しぎみに、あるいはすくい上げるように唄う節のことであります。
ある師匠の少し前の譜面などを見ると、ここは「二声おし」となっていて、押すのしであることを強調しておりますが、今は「二声上げ」が統一した言い方になっております。
この「二声上げ」は基本譜では太い波形で描かれているところですが、実に巧妙に描かれているなと感じ入りました。しかも、この押し引きには一種の法則があります。
押すのし(二声上げ)は「せつど」と「せつど」の間にあり、また、引くのしは「すくり」の後にきます。
このことはいままでこれについて書かれたものを見たり聞きしたことはないので、あまり意識されていないのかもしれない。
波は押したら、引くのが自然の理でしょう。
次に緩急とは、
読んで字のごとく遅かったり速かったりということだが、例えば、波のうねりを表すノシはゆったりと、「もみ」は速く唄うというようなことであります。ノシをゆったり、「もみ」もゆったりでは歌がだれてしまって情緒が出ません。
最後にメリハリとは
尺八用語のメリ、カリからきているように高低強弱をつけて緩めたり、張り上げたりすることであります。例えば、三節六節は海底に引き込まれる感じで唄い、五節は熱情ほとばしって血を吐く思いで唄うというようなところに何とも言えない情緒が表れるわけです。
要はこういうことが無意識のうちにできるように修練を積みましょう。
最後に、「声の質」について話してみましょう。
基本通りに唄っていて、唄い慣れてはいるが、どうも聞いてて面白くない、味がないという人がいます。反対に、経験は浅いようだが何となく唄に味があるという人もいます。この「声の質」は持って生まれたものであり、上記三つと違って努力でなんとかなるものではありませんが、唄の優劣を決める際には決定的な要素になりえます。