道中馬方節

道中馬方節(唄・成田雲竹 尺八・高橋竹山) - YouTube

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道中馬方節 成田雲竹 (10) - YouTube

 

 この唄は、主に馬市へ馬を連れて行く時の「夜曳き唄」で、博労自身が曳く事も、頼まれた馬方が曳く場合もあるが、馴れない若駒をつないで曳くので、日中は避け、夜間に移動することが多く、なかなか骨の折れる仕事である。馬に声をかけて気を静めさせ、また自分の眠気を覚ますために唄った唄が「道中馬方節」である。
 黒石から秋田へ抜ける矢立峠羽州街道)を往来する博労たちが唄っていたものを成田雲竹が習い覚え、その節回しが定着したもの。昭和12(1937)年頃にレコード化されている。
 津軽で唄われていたものが「津軽道中馬方節」で、南部で唄われていたものが「南部道中馬方節」で、どちらもほとんど同じ旋律である。隣接地で交流が多かったことや、一般的に言っても全国から馬市に集まる博労たちが宿や茶屋で、のど自慢に唄い、その中の節の良いものが人気を呼んで、一つの唄として残されて来たものなので、ほぼ同じ唄い方の唄が多い。

 

日本民謡事典』竹内勉
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この唄の源流は、旧南部藩領(岩手県中央部から青森県東部一帯)の博労達が唄っていた「夜曳き唄」である。
 それは博労仲間を通じて東北地方一円へ広まっていったが、博労が唄う唄は、馬に聞かせるものであり、しかも一人で唄うものであるから、十人十色の節まわしであった。ところが、昭和時代に入って各地の「夜曳き唄」がレコードに吹き込まれると、吹き込んだ歌い手の故郷の、津軽・秋田・宮城・相馬・最上などといった旧国名や県名を冠して、それらを区別するようになった。また、最初にレコード化した人の節まわしを他の人達が踏襲するようになったため、のちには、あたかもそれぞれの節まわしがその県や地方を代表する唄い方の様に考えられていった。
 今日広く唄われている節まわしは、成田雲竹のものである。
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♪ 矢立ハアー峠の ハア夜風をハア受けてヨー


  ハアあきたハア夜長を ハアー後にするヨ(ハイィ ハイハイト)


    *「矢立峠」 羽州街道青森県平川市秋田県大館市の境にある峠(標高25

           8m)
    *「あきた」 解釈が割れている。「秋田」、「飽きた」
           別に「秋の」としている場合もある。

 

♪ ひとり淋しい 博労の夜曳き 鳴るはくつわの 音ばかり
    *「博労の夜曳き」・・・「博労の夜道」とも唄う。

 

♪ 一夜五両でも 馬方いやだ 駒の手綱で 身をやつす
    *「一夜五両でも」 五両は女中奉公のおよそ二年間の給金に相当する。

 

♪ 心細さよ 博労の夜道 七日七夜の 露を踏む

 

♪ さても見事な 博労の浴衣 肩に鹿毛駒 裾栗毛

 

♪ ここはどこよと 尋ねて聞けば ここは津軽の 関の橋
    *「関」 今の平川市碇ケ関にあった関所、津軽三関所の一つ。

 

弘前国道維持出張所 羽州街道 矢立峠〜碇ヶ関